「学校に行かなくていい」両親が毅然と決めた瞬間 夫婦連れだって学校訪問して見えたこと
息子はその日、給食当番でした。当日に、前の当番から給食係が使う白衣をもらったんです。そのため、そのまま洗濯していない白衣で配膳をしていたら、みんなに「汚い」と言われたそうです。そこで息子はキレちゃって、給食で使うスプーンを投げてしまって。そして、「もうやってられない」と、今までにたまりにたまったものが爆発しちゃったそうです。その日以来、学校へ行かなくなりました。
学校は何も教えてくれず
その後、私は息子とは反対に、学校に通うようになりました。給食でのトラブルの原因はなんだったのか、学校の雰囲気はどうだったのかなど、担任やほかの先生に話を聞きに行くことにしたんです。しかし、結局、学校は何も教えてくれませんでした。
しだいに、私自身が学校に通ううちに、「なんだかこの学校、ヘンだな」と思うようになりました。テスト前には、「点数が取れるように事前に範囲を教えるから、テストだけ受けに来ればいいよ」と担任が言うんです。テストのためだけに学校へ行くってなんかおかしいな、と。
学力志向の強い地域性だったからかもしれませんが、勉強ができる子どもたちは塾で勉強しているので、先生は学校の授業では、真剣にやらずに流してるだけみたいな、そういう雰囲気もだんだんわかってきたんです。学校からは息子が登校するよう強く勧められることもありましたが、私としては、息子が学校へ行きたくなくなる気持ちも、なんだかわかるような気がしていました。
一方で主人は「学校へ行けないなんて甘えじゃないか、根性が足りないんじゃないか」と言っていました。一般論しか頭にない人なんです。だから私は、「お父さんは社会に出ているから人を見る目があるでしょ。私より社会人経験があるんだから、一度学校へ行って先生たちを見てきてよ」と言って主人を学校に連れて行ったんです。学校には子どもの今後のことを相談したいと言い、校長先生、学年主任、担任の先生に会わせ、主人と話をさせました。
帰ったあとにどうだったか聞くと「あれは一般社会だったら社会人としてだめだな」と。誰一人責任を負うような発言をしないと。そこで、学校へは無理に行かなくてもいい、と夫婦で対応が一致したんです。
――なるほど。不登校中の息子さんのようすはどうでしたか?
息子は家から一歩も出なくなってしまいました。「みんなが学校へ行っているのに、自分が出るわけにはいかない」と言って。2カ月くらい部屋に閉じこもっていました。
私は、息子が自殺してしまわないか心配でたまらなくて夜中にこっそり部屋をのぞいて、ちゃんと生きてるかなって生活音を確認していました。ようすを見ていると、昼夜逆転をして夜中までゲームして、昼まで寝ている生活をしていました。それでも食事だけは部屋から出てきて食べていました。