人事に翻弄された菅原道真「学閥出身者」の悲劇 栄光と転落の人生に見える「嫉妬」の影

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897年、宇多は当時まだ13歳のむすこの醍醐天皇に譲位、2年後には出家して史上初の法皇となった。道真と菅家廊下は宇多「院政」のバックアップで政治改革に取り組んだ。道真の政治家としての真骨頂は何と言っても「経済政策」にあった。道真の経歴や仕事を見て、小泉内閣の竹中平蔵氏を想起するのは筆者だけではあるまい。

7世紀末に完成した律令制国家の財政は、調庸や雑徭など主として成人男子への課税によって成り立っていた。だが、平安時代になると、このような「人頭税」収入が激減、国家財政が破綻に瀕する。課税の基礎データである戸籍に登録されているのは女性ばかり。確信犯的な「脱税」行為がまかり通っていた。そこで道真は、課税対象を思い切って人から土地に切り替えようと企てる。

他の学閥からの嫉妬

このような改革が着々と進むなか、道真の足元に暗い影が忍び寄っていた。900年10月、三善清行が道真に「引退勧告」をしたのだ。清行は道真と同じ学者出身の政治家だが「学閥」が違った。彼はこう言うのだ。

「来年は辛酉の年、陰陽道では1260年に一度の大変革の年と言われている。変革の禍はきっとあなたの身にも及ぶだろう。あなたが学者の出でありながら大臣にまで昇り詰めたからだ。おのれの分を弁え、直ちに職を辞すべきだろう」。だが、道真はこれを黙殺した。

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901年正月、17歳になっていた醍醐天皇は突如、道真の大宰権帥への「左遷」を発表する。道真のむすめは醍醐の弟・斉世親王に嫁いでいたが、道真は宇多法皇に取り入り、醍醐と斉世の仲を裂こうと企んでいるというのがその罪状だ。

宇多法皇が道真を弁護するために駆けつけたが、醍醐は父親に会おうとしなかった。さらに道真派の「官僚」や菅家廊下の学生にも処罰が及ぼうとしたが、それを制止したのが何と三善清行だった。道真の「学閥」に恩を売ることで、学界トップの座を確保しようとの打算は見え見えだ。

道真「失脚」は、藤原時平が道真に外戚の座を脅かされるのを恐れて仕組んだものというのが通説だ。だが、平安時代に入って藤原氏は天皇家の外戚の座を安定して維持していたから、道真が藤原氏の脅威になったとは考えがたい。むしろ、宇多と醍醐との父子間の対立、道真の「学閥」菅家廊下に対する他の「学閥」からの嫉妬や攻撃が、道真を「失脚」に追い込んだと見るべきだろう。

それから2年後、道真は宇多法皇の恩寵を偲びつつ大宰府で病没した。およそ「学問の神様」らしからぬ、「人事」の荒波に翻弄され、そして力尽きたのが彼の人生だったと言えよう。

遠山 美都男 学習院大学非常勤講師

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とおやま みつお / Mitsuo Tooyama

1957年生まれ。日本古代史専攻。博士(史学)。学習院大学非常勤講師。著書に『古代の皇位継承』『卑弥呼誕生』など。

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