歴史が暴く「インフレなら経済成長」という妄信 インフレ率と経済成長には「複雑な関係」がある

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イギリスの場合、1750年から1934年までの185年の間にインフレになったのは78年で、全体の42.2%にすぎませんでした。アメリカのデータを見ると、1635年から1939年までの間、インフレは119年だけで、全体の39%でした。イギリスと同じ期間で見ると、インフレは185年中たったの69年で、全体の37%でした。実はデフレとなっている期間のほうが長いのです。その間、生産性は大きく上がって、経済も大きく成長しました。

要するに、経済成長と生産性向上とインフレの関係は、日本で言われているほど単純なものではない可能性が高いことが示唆されるのです。

生産性向上にインフレは必要ない

今回はイギリスに着目して説明していきます。イギリスでは1348年6月から始まったペスト流行後に人口が減少し、生産性が大幅に向上したものの、GDP総額は減少しました。やがて人口の減少に歯止めがかかると、1450年頃以降、GDPは継続的な増加に転じました。

注:上はGDP、縦軸は成長率(%)。下は1人あたりGDP成長率、縦軸は成長率(%)

ペストの後に始まった生産性の向上は1400年くらいまで続いた後、1650年までの250年間はほぼ横ばいに推移しました。1400年から1650年までの経済成長要因は主に人口増加によるもので、この間、人口は2.6倍も増えました。

1660年以降、イングランドでは内戦が起こって封建制度が崩れ、王室が復興しました。その後、製造業が発達し、生産性は大きく上がりました。

しかし、イギリスのGDPが本格的に成長し始めたのは、18世紀の半ばごろから始まった産業革命以降です。この期間、生産性は猛烈に向上したにもかかわらず、インフレ率の平均はたったの0.39%でした。なお戦争によるインフレ要因を除くと、平均はわずかながらデフレとなるようです。

次ページ生産性向上は、それだけをとれば「デフレ要因」
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