日経平均の「大相場」が始まったのかもしれない 「倍返し」では終わらない可能性が出てきた?
12陽連となると、これは大きな意味を持ってくる。今回の12陽連は、1988年2月10日の寄り値2万3678円・終値2万3771円の陽線から、同月27日の寄り値2万5148円・終値2万5284円の陽線まで続いた13陽連以来、実に33年7カ月ぶりの出現であるからだ。
この時の13陽連は、1987年のブラックマンデーを起因とする約5000円の下げのあとに出た買いシグナルだった。これは、1989年末の日経平均の史上最高値となった終値3万8915円への大相場のスタート地点でもあった。
12陽連は大相場のスタートかもしれない
筆者は業界生活51年で経験したことをいつも思い出すわけではないが、大抵のことは、年表を見て振り返ると、その時の風景がありありと浮かんで来るものだ。しかし、極めて重要なシグナルだったはずの13陽連だが、正直なところ、一部のチャーチストの話題でしかなかったと記憶する。むしろ、13陽連直前のブラックマンデーの急落で、困惑した現場の景色のほうを鮮烈に覚えている。
もちろん、ブラックマンデー前の高値1987年10月の2万6646円をつける前のこともよく覚えているし、何よりも1984年に日経平均が史上初めて1万円をつけたときは興奮したものだ。
とくにこのとき、筆者の師である「石井独眼流」こと立花証券の創業者、故・石井久氏の言葉が今でも鮮烈に頭に残っている。それは「この1万円は、1万円のための1万円ではなく、2万円のための1万円だ」と言われたことだ。
今から考えると「ここは通過点だ」と言えば済むことだが、いかにも株の神様のご託宣のようで、素直に感激した。事実、1985年に5カ月間、1986年に3カ月ほどのモミ合い合いを入れて、前述の1987年ブラックマンデー前の2万6000円台の高値につながっていったのだった。
今回の12陽連を、決して忘れてはいけない。33年前のように、大相場のスタートかもしれないからだ。前述の倍返しなど、目先のことかもしれないのだ。
なお、33年前の13陽連のきっかけは「特金・ファントラの評価方法の弾力化」によって、海運・鉄鋼株が賑わっていたことを思い出した。この時代、特金・ファントラとも簿価計上が可能で、企業にとっては格好の「財テク」手段だった。
今回は何を原因としたのか。新政権への期待か、ウィズコロナの新しい時代へのスタートか、あるいは隠れた理由があるのか。とにかく面白いことになって来た。
(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)
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