東上線でも大活躍、「転勤族」東武30000系の半生 半蔵門線直通用のはずが"新天地"で主力車両に

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「東武初」だった装備も複数ある。例えば、車両の加減速を操作する運転台のマスコンは、加速とブレーキを1つのハンドルで操作できる「ワンハンドルマスコン」を初めて採用。くの字型のシングルアームパンタグラフも本格的に導入した。車内のドア上には行先や次駅などを表示するLED式の案内装置を設置。後期につくられた車両は、座席端の「袖仕切り」を大型化した。新型のモーターであるPMSM(永久磁石同期電動機)の試験車になった車両も存在する。

一方で、「最後」の要素もある。30000系以降につくられた東武の通勤電車はアルミ製車体のため、今のところステンレス製で新造した車両としてはラスト。「東武ステンレス車両の集大成」ともいえそうだ。

地下鉄直通から地上線まであらゆる仕事に対応でき、先輩との協調性も高い「期待の新人」30000系。2003年3月に伊勢崎線と半蔵門線・東急田園都市線との相互直通運転が始まると、いよいよ本領を発揮することになった。

後輩に譲った晴れ舞台

だが、直通運転が始まると、汎用性を高めるための構造がネックとなった。30000系は6両編成と4両編成をつないで10両編成を組むため、乗務員室のある先頭車両が中間に2両はさまる。「混雑率の高い半蔵門線や田園都市線では、この乗務員室がデッドスペースになってしまう」(川鍋さん)という問題が浮上したのだ。

このため、早くも2005年10月から順次地下鉄乗り入れ運用を離脱。相互直通の中心は後継車の「50050型」が担うことになった。

本領を発揮するはずだった舞台を後輩に譲った30000系。地下鉄乗り入れ運用から離れた車両はしばらくの間、伊勢崎線や日光線、宇都宮線などの地上線に戻ったが、次なる「異動先」はまったく別の場所だった。これら本線系統の路線とは線路が直接つながっていない東上線だ。

次ページ予想外?東上線への「異動」
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