「治る」を考える「ウイルスと共生」に必要なこと ポストコロナ時代にはいったい何が変わるのか

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福岡:一方、ある種の漢方薬がなぜ効くかというのも、同様に動的平衡の考え方を用いて説明できます。漢方薬の材料は植物や虫など、生物から採取してきた化合物の集合体で、化学構造が異なるさまざまな種類が含まれています。そこには逆方向に作用する似たもの同士が一緒に入っていることが多い。

西洋医学的にはそんなものを飲んでも効くわけがないということになりますが、動的平衡状態にあるシステムの中に逆方向に引っ張り合うような化学物質が急に入ってくると、アクセルとブレーキを両方踏まれたように平衡状態が揺り動かされて、そのことによって、平衡点が移動する。じっくり時間をかけて以前とは異なる平衡状態になるので、元の痛みが何となく軽減したり、不快感が和らいだりすると解釈できます。

人それぞれの「治る」

つまり、病気が治るというのは、新たな動的平衡状態を獲得することだと言えます。それは死も同じです。

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個体が死ぬということは、その生物が使っていた空間や時間や食料資源をほかの生物に手渡し、自分の体という有機物を土壌細菌や植物などのほかの生物に手渡すということですから、死があるからこそ、次の世代が死んだ個体のニッチを受け継ぐことができ、この動的平衡のバランスを保っていくことができるわけです。死は究極の利他行為です。

ですから、病気や死というものを排除しようとする視点は非常に危険な浄化思想と言えます。もちろん、救える命をだまって見過ごすようなことがあってはなりません。そこは最善を尽くすとしても、人それぞれの「治る」があるということを受け入れ、病気や死を肯定的に捉えるという視点が必要ではないかと思います。

伊藤:死を名誉のような抽象的な意味に変換せず、生物的な出来事として捉えるとき、そこには死んでいく人しか伝えることのできない大きなメッセージが含まれているのだと思います。

看護の仕事をされている方や高齢者を看取る経験を重ねられている方のお話を聞くと、「亡くなった方から、大きな贈り物をもらった」とおっしゃいますよね。親や年長者が、最後にできる仕事は「死について教えること」なのだと思います。人間の体が人間を超えていくというときに、周りの人が受け取るものはたぶんすごく豊かなもので、それはこれから残された者が生きていくときの大切な糧になるのだと思います。

福岡 伸一 生物学者、青山学院大学教授、ロックフェラー大学客員教授

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ふくおかしんいち / Shin-Ichi Fukuoka

京都大学卒および同大学院博士課程修了。ハーバード大学研修員、京都大学助教授などを経て、現職。サントリー学芸賞を受賞し、87万部のロングセラーとなった『生物と無生物のあいだ』や、『動的平衡』シリーズなど、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。近著に『迷走生活の方法』『生命海流』などがある。

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伊藤 亜紗 美学者、東京工業大学教授

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いとう あさ / Asa Ito

東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究美学芸術学専門分野単位取得退学。同大学にて博士号を取得(文学)。主な著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』『記憶する体』(第42回サントリー学芸賞)、『手の倫理』がある。WIRED Audi INNOVATION AWARD 2017、第13回わたくし、つまりNobody賞受賞。

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藤原 辰史 歴史学者、京都大学人文科学研究所准教授

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ふじはら たつし / Tatsushi Fujihara

1976年生まれ。専門は農業史、食の思想史。京都大学大学院人間・環境学研究科中途退学、東京大学講師などを経て現職。主な著書に、『ナチス・ドイツの有機農業』(第1回日本ドイツ学会奨励賞)『ナチスのキッチン』(第1回河合隼雄学芸賞)、『給食の歴史』(第10回辻静雄食文化賞)、『分解の哲学』(第41回 サントリー学芸賞)、『縁食論』などがある。第15回日本学術振興会賞受賞。

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