福岡:一方、ある種の漢方薬がなぜ効くかというのも、同様に動的平衡の考え方を用いて説明できます。漢方薬の材料は植物や虫など、生物から採取してきた化合物の集合体で、化学構造が異なるさまざまな種類が含まれています。そこには逆方向に作用する似たもの同士が一緒に入っていることが多い。
西洋医学的にはそんなものを飲んでも効くわけがないということになりますが、動的平衡状態にあるシステムの中に逆方向に引っ張り合うような化学物質が急に入ってくると、アクセルとブレーキを両方踏まれたように平衡状態が揺り動かされて、そのことによって、平衡点が移動する。じっくり時間をかけて以前とは異なる平衡状態になるので、元の痛みが何となく軽減したり、不快感が和らいだりすると解釈できます。
人それぞれの「治る」
つまり、病気が治るというのは、新たな動的平衡状態を獲得することだと言えます。それは死も同じです。
個体が死ぬということは、その生物が使っていた空間や時間や食料資源をほかの生物に手渡し、自分の体という有機物を土壌細菌や植物などのほかの生物に手渡すということですから、死があるからこそ、次の世代が死んだ個体のニッチを受け継ぐことができ、この動的平衡のバランスを保っていくことができるわけです。死は究極の利他行為です。
ですから、病気や死というものを排除しようとする視点は非常に危険な浄化思想と言えます。もちろん、救える命をだまって見過ごすようなことがあってはなりません。そこは最善を尽くすとしても、人それぞれの「治る」があるということを受け入れ、病気や死を肯定的に捉えるという視点が必要ではないかと思います。
伊藤:死を名誉のような抽象的な意味に変換せず、生物的な出来事として捉えるとき、そこには死んでいく人しか伝えることのできない大きなメッセージが含まれているのだと思います。
看護の仕事をされている方や高齢者を看取る経験を重ねられている方のお話を聞くと、「亡くなった方から、大きな贈り物をもらった」とおっしゃいますよね。親や年長者が、最後にできる仕事は「死について教えること」なのだと思います。人間の体が人間を超えていくというときに、周りの人が受け取るものはたぶんすごく豊かなもので、それはこれから残された者が生きていくときの大切な糧になるのだと思います。
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