「治る」を考える「ウイルスと共生」に必要なこと ポストコロナ時代にはいったい何が変わるのか

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藤原:川喜田愛郎さんの『医学概論』(ちくま学芸文庫)に、まさに今、伊藤さんがおっしゃったようなことが書かれていました。つまり、病院、ホスピタルはもともとホスピタリティーからきている言葉で、ホテルと同じ語源です。その場所にやってきた貧困者がたまたま病気になったから世話していたのが、いつのまにか人々はそこに「病院」という名前を付け、さらに「病気」というものを、厳密に定義づけました。

しかし、実際、病気は、社会のさまざまな現象と連続的につながっている。「病気に罹ること」も「病気が治ること」も、そんなに明確な線を引くことはできません。

コロナ禍でも、死者を隔離して、家族であってもふれてはいけないということにされましたけれども、これは医学の「健康」と「病気」の線の引き方が非常に強い証拠だと思います。ポストコロナの時代には、もう少し違った形で病気を定義するということが必要なのかもしれません。

「治る」とは違う状態になること

福岡:生命というのは、絶えず率先して分解を行いつつ、同時につくりなおす「動的平衡」を繰り返していくというのが基本的なあり方ですから、たとえ健康な状態であったとしても、私たちの体は一瞬一瞬、異なる平衡状態をつくりなおしているのだと言えます。

どんな人もつねに何らかの平衡の乱れというものを抱えていて、そういう意味では、完全に健康な人、あるいは健常な人は存在しない。皆がある種の病者であり、ある種の障害者であって、その中で程度の差があるということだと思います。

つまり、「治る」というのは単に元に戻るということではなくて、変わる、何らかの違う状態になるということだと言えるでしょう。例えばウイルスの侵襲を受けて自分の体が変調したとします。そこから回復すると言っても、まったく元どおりになるわけではなく、何か違う状態になる、そんなふうに人は常々変転していると捉えたほうがいいのではないかと思います。

西洋的な薬の効き方というのは、病気のときの平衡状態に介入して、反応を阻害したり、遮断したり、競合したりして、病気になる前の平衡状態に戻そうとします。しかし生命は、その阻害や抑制を乗り越えようとリベンジをしてくるので、さらに悪い状態になったりする。

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