方丈記に描かれた5大災厄が映す諸行無常の本質 養老孟司が「一番読んでもらいたい古典」と言う訳
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という書き出しの文章は、多くの人に知られていると思う。これに近い時代に書かれたとされる『平家物語』の始まりにも、この文章はよく似ている。というより、同じ感慨を記している。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。どちらもすべてのものは移り変わり、とどまることはない、と述べる。これが鎌倉時代初期に起こった思想の革命であろう。こうした思いを背景にして、日蓮宗、浄土真宗、禅宗など日本固有の仏教が生まれる。
情報化社会は、「変わらない」ものに満ちている
若いころ、私はこの2つの文章を美文、つまり著者が少しカッコつけて書いた、いわば装飾の文章だと思っていた。歳をとると、そうではなくて、素直で率直な心の表現だと思うようになった。こう書きだすということは、著者たちはそれ以前は逆に「物事は変わらない」ことを常識としていたはずである。さまざまな大事件に出会い、諸行無常がしみじみと実感されたのであろう。読者の皆さんはどう思うであろうか。
現代社会は情報化社会といわれ、それとは逆に「変わらない」ものに満ちている。情報とは「変わらない」もののことだからである。ネットに書かれた文章は、誰かが敢えて消さない限り消えることはない。
動画をSNSに載せれば、いつまでも「同じ」(変わらない)動画である。いつも新しい動画を載せるから、動画が「変わっていく」ように思ってしまうが、じつは新しい動画が付け加わっただけである。古い動画はそのまま残っている。
鴨長明とは異なって、現代人は変わらないものを徹底して優先する。それが情報化社会である。おかげで世界は情報という変わらないもので満たされてしまう。情報は絶えず取り換えられるから「新しくなった(変化した)」と思うだけで、情報そのものはいつも止まったまま、変化することはない。情報化社会とは変わらないものを中心にする世界で、そこに鴨長明が入る余地はない。それであらためて読んでほしいのである。
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