石破茂「本心は原発ゼロ」なのに表立って言わぬ訳 政界きっての軍事通が語る「原発と核抑止力」

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これには反論もある。例えば、長崎市の田上富久市長は「基本的にその考え方はおかしい。核抑止力という考え方そのものが違う。核保有国が増えている現状を見る限り、(核の保有が)安全に寄与していないことは歴史的に明らかだ」(2011年10月31日の定例記者会見)と述べた。ほかにも広島・長崎の被爆者らが核抑止論を徹底批判するなどしている。

原発事故から月日が流れ、原発と核抑止力をめぐる議論は一時の熱を失っている。しかし、問題の所在や構造が変わったわけではなく、東アジアの国際環境はますます厳しさを増している。核抑止力との観点からたくさんの意見を出してきた石破氏の考えはその後、どうなったか。真意は何か。石破氏に問うた。あらかじめ、「原発と核抑止力のことについて見解をうかがいたい」と示し、ビデオ撮影しながらのインタビューである。

いざとなったら核を持てる能力は議論する価値がある

――原発は潜在的核抑止力という発言について、これまで多くの方に意見をうかがいました。「原発があること自体がテロの標的になる。あんなに多数あることのほうが危ないんじゃないか」と。そういう意見もよく聞きます。

日本は北朝鮮、中国、ロシア、アメリカと周りを核保有国に囲まれている状況。核を使わないというハードルが低い国だってあるかもしれない。脅威は、意図と能力のかけ算だから。どんなに能力があっても意図がゼロならかけ算の答えはゼロ。だからアメリカは日本に核なんか撃たない。

「日本も核を持つべきという論だったことは一度もない」と話す石破氏(筆者撮影)

だけど、北朝鮮、ロシア、中国は国の意思決定システムが日本と違うんですね。(私は)原発ゼロであるほうが望ましいと思っている。そして、核がない世界であってほしいと思っている。実現のために何ができるか考えるのが、われわれの仕事だと思っている。

一方で、日本も核を持つべきという論だったことは一度もない。

いざとなったら核を持てるという能力を持つということはまったく無意味かというと、それは議論する価値はあるんだろうと。私は持つべきではない、という立場だけど、(このままでは)原子力に対する知識がなくなる。いま、大学でも研究する学生がほとんどいなくなっている。そうなると、抑止力の核って何だい、と。ないほうがいいっていうのと、抑止力としての核って何なんだ、ということが整理できていない。

片方は核廃絶をしながら、アメリカの核の傘に頼っている。この矛盾をどう解決していくのかということだと思います。日本が他国から侵略を受けない。報道の自由、思想、信条、みんな否定される国にしたくない。そのために抑止力が必要だろうと思っている。

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