予防接種政策を担当する行政官にとってのバイブルがある。『戦後行政の構造とディレンマ――予防接種行政の変遷』(手塚洋輔著)だ。各担当者のデスクの上に置かれている。担当者は、着任するとまず「この本で勉強せよ」と言われ、予防接種行政に関する複雑でダイナミックな歴史を理解することから始める。
予防接種行政は、国家的な重要政策である一方、政府にとってはその予防接種行政の存在自体が重大な脅威となりうる分野でもある。なぜなら、政府は予防接種という政策を実施しても(作為)、実施しなくても(不作為)、非難されるからである。
「作為」への非難とは、国民を感染症の脅威から守るために、政府ができる限り多くの国民にワクチン接種を実施したとしても、副反応による被害(作為過誤)が発生したとして糾弾されることである。
一方、「不作為」への非難とは、政府が、副反応を懸念して国民へのワクチン接種に慎重になったとしても、感染症の脅威から国民を守る義務を果たしておらず、感染症による被害(不作為過誤)を発生させているとして糾弾されることである。
どちらにしても非難される
このように、予防接種政策は実施してもしなくても何らかの被害が発生する可能性があるという意味で、予防接種行政を司る政府はどちらに転んでも非難される宿命を負っている。
作為過誤と不作為過誤の両方を回避するということは不可能であり、前述のバイブルによれば、これを「過誤回避のディレンマ」という。作為過誤(副反応のリスク)を回避するために不作為の方向に舵を切るか、不作為過誤(感染症のリスク)を回避するために作為の方向に舵を切るかは、その時々の社会状況を踏まえた政府の判断である。
予防接種行政の特徴は、「揺らぎ」である。すなわち、作為過誤回避と不作為過誤回避の両立不可能性の結果、つねにその間で揺れ動いている。
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