「中西君と1度だけぶつかった」川村氏が知る素顔 「仕事はやりがい」という生き方を貫いた中西氏

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「最新刊は一種の幸福論」という川村隆氏。ビジネスマンにとっての幸せに思いを巡らす(撮影:今井康一)
日立製作所会長や経団連会長を歴任した中西宏明氏が2021年6月27日、75歳で亡くなった。
日立が7873億円の巨額赤字を計上した際に、アメリカ子会社から本体に復帰。川村隆・日立元会長と共に業績回復に尽力した。
巨艦の立て直しを図る2人の息はぴったりだったが、一度だけ意見が分かれたことがあるという――。
最新刊『一俗六仙』を上梓した川村氏が、中西氏の思い出を語る後編(前編はこちら)。

「経団連を直せると思っているのか」

2人の間で経営について意見の違いはほとんどなかったが、1度だけぶつかったことがある。中西君の任期が終わりに近づいた頃、「次期社長を選ぶ時間がもう少しほしい」と言ってきたときだ。GE(ゼネラル・エレクトリック)のジャック・ウェルチを引き合いに出して、「アメリカでは15年も20年もやっているでしょう」。私は「だめだ」と断った。「創業者でもないかぎり、ある期限で社長は替わり、前の社長の足らざるところを補いながら改革を続けるのが次の社長の仕事だ」と。

『一俗六仙』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

興味深い長期データがある。日本企業は、創業者が引退すると一気に利益率が落ち、100年後までずるずると落ち続ける。引き継いだ人たちが創業者を慮りすぎ、新規事業の「カ」や、削る「ケ」をやらないからそうなる。対照的に、アメリカは創業者がいなくなっても50年後くらいまで利益率が上がり続け、その後の下がり方も緩やかだ。だから、「中西君がいくら志が高くても、長くやるといつかは必ず堕落するからだめだ」と言った。私が1年で会長に退いたのも、会社を老化させるべきではないと強く思っていたからだ。

日本経済団体連合会(経団連)についても2人の意見は異なった。私も会長就任を再三要請されたが、日立創業者の小平浪平が経団連会長を固辞した歴史があったし、私自身、会社の仕事以外の役職ごとが嫌いだったのでお断りした。私は、経営改革のためには経験者が他社の社外取締役になって、その会社を内部から直すべし、という派。中西君は経団連所属の各社を経団連主導で一挙に改革して日本の経済力を回復したいという派。

当時、私は「経団連は直らん」という派。取締役会長は日々の実務には口を出さず、社長に全権がある米英式のガバナンスが一番合理的だということを、経団連はわからなかったから。当時はそれだけ加盟企業が古いということだった。監査役設置会社にこだわって、監査される側の社長が監査役を支配し、おかしなことがいっぱい起きていた。しかも、米英式のガバナンスを導入している会社ですら不祥事を起こしていた。でも中西君は経団連を直せると思ったんだろう。

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