日本の対外情報発信の不足と経済論議の混迷 グローバルな視点と言語で発信することの意義

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しかし、第4の局面に入ると議論のトーンは変化した。最も劇的なのはクルーグマンである。2015年10月、「日本は過去25年間に緩やかな成長を遂げてきた。しかし、その原因は人口動態にあった。

労働力人口1人当たりのGDPは2000年以降米国よりも伸びている」と述べ、多くの人を驚かせた。ウルフも2017年12月、「日本に関する通念は間違っている」、「インフレ率引き上げに失敗したからといって、状況が悲惨であるようには見えない」、「日本の人口動態と現在の低い失業率を所与とすると、女性や高齢者の労働参加率を高めることは重要であるが、生産性を引き上げることこそが本質的である」という政策判断を示すに至っている。

ハーバード大学教授のローレンス・サマーズは2019年8月、「日本銀行の大々的な努力が物価上昇率の引き上げをもたらさなかったことは、以前は公理として語られていたことが実は間違いであったことを示唆している」と発言している。

もっとも、主流派マクロ経済学者の金融政策観や日本に対する見方が根本的に変わったかと問われれば、答えはおそらくノーであろう。バーナンキは2020年1月の米国経済学会の会長講演で、「過去数十年の日本の経験が示すように、低インフレは自己永続的な罠となり、低インフレと低金利は金融政策の有効性を低下させ、それがさらに低インフレないしデフレを居座らせる」と、従来の見解を述べている。

日本の経験はなぜ正しく伝わらなかったか?

もし、海外の論調が最初から第4の局面で語られたような内容であれば、日本の金融政策論議も、実際の運営も、それなりに異なっていただろう。ITバブル崩壊後の米国の金融政策運営も然り。デフレに関してFRB理事時代のバーナンキが2002年に行った有名な講演のタイトルが示すように、「『それ』をここでは起こさせない」ことが強く意識されていたにもかかわらず、実際には同じ事態に直面している。

その原因のひとつとして、日本の経験が正しく伝わらなかったことも挙げられるように思う。なぜ日本の経済や金融政策に関する見方が変化するのにこれだけの時間がかかったのだろうか。何を契機として日本をめぐる海外の経済学者や政策当局者の議論が大きく変化したのだろうか。そのカギは経済理論にもあるように思う。

いつの時代もそうであるが、無数にある事実の中で、歴史や政策論議において「事実」や「教訓」として語られるのは、何らかの理論というレンズを通して見た事実であり教訓だからである。具体的に考えてみよう。

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