9.11の反省からCIAが「人材の多様化」進めた意味 悲劇を繰り返さないよう求められた組織の変革
ファヌーシはすぐに頭角を現した。ホワイトハウスのシチュエーションルーム(緊急対応室)で諜報関連のブリーフィングが行われたあと、彼はアメリカ人のイスラム教伝道師、アンワル・アウラキに疑念を抱いた。
アメリカのニューメキシコ州でイエメン人の両親のもとに生まれたアウラキは、1990年代中盤から2001年にかけて、コロラド州デンバー、カリフォルニア州サンディエゴなどのモスクでイマーム(イスラム教の指導者)を務めていた。9.11の実行犯の中には彼のモスクに通っていた者もいた。
2002年になってアメリカを出たアウラキは、まずイギリスへ、その後イエメンへ向かった。その間、彼の説教はそれまでにも増して過激になっていった。ファヌーシは言う。
「アウラキはアメリカ英語とアラビア語を巧みに操りました。しかも優れたストーリーテラーで、彼の説教は何時間にも及ぶことがありました。彼は2006年に、誘拐事件に関与した容疑で逮捕されています。ちょうど私がテロ対策部署に異動したばかりのときでした。当時アウラキが、特に西側諸国の若いムスリムに接触しようとしていたのは明らかでした」。
ファヌーシはアウラキのそれまでの説教の内容などを徹底的に調査し、やがて危険な兆候を見つけた。
ブログを「人材確保」の手段に
アウラキはムスリムたちにジハードに加わるよう説いていました。しかも予想以上に戦略的にやっていました。イスラム教の説教の形をとりながら、西側諸国に住む若い世代のムスリムの心理に合わせて実に巧妙に勧誘していたんです。アウラキは釈放されたあと、ブログを始めました。完全に人材確保の手段に用いるためです。彼はアメリカやヨーロッパから若いムスリムたちをイエメンに呼び寄せ、文字通り「兵器」に仕立て上げていきました。
アウラキの信奉者の1人だったナイジェリア人は、あるクリスマス・イブにデトロイトに向かう航空機を爆発させようとしました。しかし自身の下着に仕込んだ爆発性物質に火をつけたところで、ほかの乗客に取り押さえられました。
一方、テキサス州の陸軍基地でも、ニダル・マリク・ハサンという少佐が銃乱射事件を起こしましたが、このときはまだ米陸軍の少佐とアウラキとの関連は明確につかめていませんでした。しかしこの事件で同僚の兵士らが13人殺害され、そのほか数十人も負傷したことが明らかになると、アウラキは「ニダル・マリク・ハサンは正しい行いをした」と自身のブログに投稿したのです。
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