「世界遺産=観光地」として見る人の大いなる誤解 本来の目的は「遺跡や自然環境を保護する」こと
2018年に世界遺産登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」については、そのアイデアの原型が登録の3年前にもイコモス(※)に出されているが、当時は「禁教の中で信仰を守り続けた麗しい話」というストーリーが描かれていた。
しかし、イコモスの側としては、「禁教(宗教弾圧)に対する言及が薄い」という認識を持ったために、日本は一度、申請を取り下げざるをえなかったという経緯がある。
日本人が世界遺産に対して抱きがちな「地域の誉れ」のような観点だけでは、世界遺産という仕組みを十分には理解できないし、そもそも世界遺産登録を目指すのであれば「光と影」の部分により敏感になってしかるべきであろう。
「ダークツーリズム」の重要性
そこで、数多く存在する世界遺産を観る視点として「ダークツーリズム」という眼差しを設定してみたい。この言葉は、1990年代にイギリスで生まれた新しい観光の概念で、平たく言えば、「戦争や災害などの悲劇の記憶を巡る旅」ということになる。ダークツーリズムの目的は、悲劇の記憶を共有し、承継したうえで、教訓化することにある。
こうした「教訓」による記憶の承継は、「世界遺産」という仕組みの中で、非常に活発に行われている。アウシュビッツ強制収容所や原爆ドームはその典型であり、こうした先駆的な例が、ダークツーリズムという考え方を牽引してきたと言ってよい。
日本の世界遺産候補地についても、ダークツーリズムの視点のもとで考察することで、世界遺産の備える「光と影」についてのより深い理解が可能になる。
詳論は拙著の各章に譲るが、今後の日本の世界遺産のあり方を考える際には、これまであまり活用されてこなかったダークツーリズムの視点を踏まえた考察が必要と言える。
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