「カタカナ社名」の就職先を親に反対されたら? 「もっと有名で安定した企業に就職してほしい」

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人生においては絶対の正解は存在しませんから、誰かの言うことを聞いておけばこの先安泰である、ということはありえません。であるがゆえに、人生における大きな決断については、自分自身で最終判断を下すべきなのです。

そうすれば、仮に決断を間違えたことが後々わかったとしても、誰のせいでもない自分の責任でしかありませんから、その失敗から学ぼうとする気概が自然と生まれるはずです。少なくとも決断を下す、ということに関する経験を積めることになります。

なぜ学生は「半人前」と言われるのか

学生の頃までは、とくに親に学費を出してもらっているような場合は、それが自分の人生のようでいて、自分自身は結局は親の描く人生のストーリーの出演者にすぎません。親が決断し、責任も取ってくれ、お金も出してくれる、という保護された状態にあるわけですから、これは当然自分自身の人生とは言えないわけです。

であるがゆえに、学生は半人前と言われるのです。

ところが、社会に出るということはその先の人生を自分自身が独立した大人として歩む、ということと本来は同意義であるはずですから、自分自身でストーリーを描き、自分自身が主演でなくてはならないのです。もっとも実際は「社会に出る」という形をとっているものの、決断も何も他人任せ、という人や周りの風潮に流されるだけの人が多いですから、「大人としての人生を生きる」ことと「社会に出る」ことは同意義ではないというのが実態ではありますが……。

とはいえ何事もそうですが、人生思いどおりにいくことばかりではありません。想定と違った、こんなはずじゃなかった、そんなことの連続です。

そういった困難に直面した際に、自分事として責任のある行動を取れるか、そうでなく他人や周りの環境のせいにしてしまうかで、この後の人生が決まると言っても過言ではありません。

前者であれば、困難に直面したり失敗した経験が学びへとつながりますが、後者は学ぶことを放棄しているので、成長につながりません。

人間誰しも失敗や困難の原因や責任を周りや他人に求めがちです。

そのため、例えば就職先も親の言うことを聞いて決めてしまっては、困難に直面したときに「親のせいだ」となりがちです。

何かと他責にしてしまうのは多くの人に共通したことではありますが、そういった自分自身の弱さを理解しているか否かも人生の成長においては大きな違いとなってきます。

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