作家が明かす「映像版へ安易な口出し」がNGな理由 「製作委員会方式だから駄作になる」はホント?
つまり映画は製作委員会ではなく、この幹事会社のプロデューサーひとりの意向こそが大きく反映されます。大勢の意見により「船頭多くして船山に上る」のではなく、独裁に近いのです。しかしそのプロデューサーもテレビドラマとは勝手が違い、監督のすべてはコントロールできません。
昨今の映画監督は人当たりが穏やかで、こうしたプロデューサーのあしらい方も心得ており、けんかせずともうまく自分の世界観を守ります。幹事会社のプロデューサーは事実上、監督の任命権を有していますが、制作に入ったら資金や人材のやりくりに追われるだけです。映画はほとんど監督が好きなように作ります。
製作委員会の各社から、製作幹事のプロデューサーひとりが映画を守り、そのプロデューサーから監督が映画を守る構造です。結局、映画が傑作になるか否かは製作委員会ではなく、監督ひとりの腕に委ねられています。
では原作者は監督に物を言うべきでしょうか。これも好ましくありません。監督は別の著作物たる映像版を手がける、言わばもうひとりの作家です。作家対作家の意見衝突は互いに退かず、双方に甚大な被害を引き起こします。下手をすれば制作それ自体の行方が危ぶまれます。
譲れない点はプロデューサーに申し入れる
幹事会社のプロデューサーはこの点を心得ており、監督に代わり、原作者への説明役を買って出ます。出版社が対話する相手も、基本的にこの幹事会社プロデューサー(正式にこのような肩書があるわけではなく、現場では単にプロデューサーと呼びます)です。
なおクレジットには「製作総指揮」「エクゼクティブプロデューサー」として名が挙がっている人物がいますが、多くの場合、現場ではなくもっと上の責任者という立場です。撮影に際し、各方面との段取りをつける人物は「ラインプロデューサー」ですが、やはり資金や人事の決定権は幹事会社プロデューサーが握っているため、ラインプロデューサーはそれに従って動くことになります。
映像化オプション契約書に疑問点があるとき、小説家に会ってくれるのも幹事会社プロデューサーです。貴方は映像版が彼らの著作物であることを理解したうえで、どうしても譲れないという点のみ、幹事会社プロデューサーに申し入れます。
むろん担当編集者らも同席するので、原作者の意見を支持してくれるよう、あらかじめ頼んでおきましょう。プロットや脚本をチェックしたい場合も、この時点でそのように念を押しておきます。プロデューサーが納得したら、それらについて契約書に反映してもらいます。
原作者は撮影現場に招かれます。たいてい主演俳優のほか、メインキャストがそろっていて、大規模なシーンの撮影時に呼ばれます。スターが目の前にいるので気分が昂揚しますが、ほどなく「誰もがただの人間にすぎない」と慣れてきます。
自分の小説が実体化したという感激はあまりないのが普通です。他人すなわち監督の作品だと強く感じるようになります。そうでないなら、むしろ自分の勘違いを疑うべきです。事実として映像版は他者の著作物です。
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