作家が明かす「映像版へ安易な口出し」がNGな理由 「製作委員会方式だから駄作になる」はホント?
原作者は歓迎されますが、貴方は「地主」と思われているのを忘れないようにしましょう。すべての発端となった存在であり、尊重はされていても、映像版の制作現場からすると部外者です。
監督に挨拶する機会があろうと、やり方に口を挟むのは失礼な行為です。貴方の執筆中に映画監督が書斎を訪ねてきて、貴方の肩越しにパソコンの画面をのぞきこみ、小説の出来に文句を言うのと同じです。
ここでも案内役を買って出てくれるのは、幹事会社のプロデューサーです。原作者が会話する映像版の関係者は、基本的に監督でも主演俳優でもなくプロデューサーです。
よってアニメのアフレコ現場を訪ね、声優と結婚したいと望んでも、現場でのふたりきりの接触はいっさい不可能と思い知らされます。そうした恋愛沙汰は実質的に、小説家の仕事上の人づきあいとは無関係の場で進みます。
初号試写には呼ばれるが口出しはNG
原作者は初号試写(0号試写)に呼ばれます。ただし観賞できるのは「ピクチャーロック」した後の映画です。ピクチャーロックとは、文字どおり「画を施錠する」、つまり画に対してこれ以上変更を行わないことを意味します。
原作者が再編集してほしいと望んだところで、もうどうにもなりません。もっと早い段階で見せてほしかったと不満を持つ場合がほとんどですが、やはり自分の著作物ではないため抗議はできません。
もし幸運にも、最初の映像化から原作を尊重した傑作ができあがったのなら、それが例外中の例外であることを肝に銘じましょう。原作の映像化がつねにそういうものだと信じてしまうのは危険です。次の映像化依頼に安易に乗った結果、現実が甘くないことを知る羽目になります。
変に原作をいじられるぐらいなら、自分で脚本を書きたいと思う人もおられるでしょう。やりたいと申し出るのは自由ですが、まず担当編集者に相談したうえで、プロデューサーに意向を尋ねましょう。
時期はオプション契約を交わす前に限ります。箔が付くからと表面上は歓迎されることもありますが、たいていは難色を示されます。
これは貴方の創作能力が疑問視されているのではありません。脚本家の仕事とは、プロデューサーや監督の意に沿う形に脚本をまとめた後、各方面からの不条理な要求を反映させながらリライトを繰り返す、小説の執筆以上に過酷な仕事です。
映画化やドラマ化の依頼が来るほどの小説家になった貴方は、要求の理不尽さを受容できないでしょう。
「原作者が映像版ではこうすべきだと思っているのだから、そのようにするのが最善策だ」と原作者自身は考えがちですが、プロデューサーにとっては迷惑でしかありません。
プロデューサーの目には原作者の態度が「子供を手放したがらない親のわがまま」のように映っているでしょう。撮影スケジュールや俳優の都合、予算の問題など、製作サイドにも譲れない都合があるのです。
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