評価額2億円!幻のバイクを持つ男のスゴい半生 世界に1台のみドゥカティ社「アポロ」を公開

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1950(昭和25)年、岩下さんは福岡県朝倉郡宝珠山村(現東峰村)に生まれた。宝珠山は明治時代にかの有名な炭坑王・伊藤伝右衛門が買収して本格的に石炭採掘がはじまった鉱山だ。炭坑業に携わる人々が多く移り住み、炭坑労働者とその家族らで賑わっていた。

初めてバイクに触れたのは小学校低学年の頃。

「当時、テレビ番組『月光仮面』が子どもに大人気で、主人公が乗っていたホンダのドリームC70に憧れて。うちの村では映画のポスター張りの兄ちゃんが乗っていました。その兄ちゃんがバイクの後ろに乗せてくれてね。それでもうすっかりバイクの虜」

目の前に次々と開ける景色、全身で感じる風、疾走感。忘れえぬ原体験となった。もうすっかりバイクが体に入り込んでしまったと岩下さんは振り返る。

1963(昭和38)年に宝珠山炭坑は閉山となり、それと前後して村から人が減っていった。

岩下さんは大分県日田市の日田三隅高校に進学。汽車が少なかったため、バイク通学の許可を得て村から高校まで通学した。初めての愛車は、憧れの月光仮面が乗っていたホンダのドリームC70の小型版の150ccだ。

16歳の岩下さん(写真提供:岩下洋陽)

「当時はバイクなんて悪ガキ、落ちこぼれが乗るものって風潮で白い目で見られたけど、学校以外にもいろんなところに行って楽しかったね。友だちを後ろに乗せて博多の街まで出かけたり」

バイクが行動範囲も見る世界も広げてくれた。

がむしゃらに働いた20代

高校卒業後は滋賀県草津市のオムロンの工場へ就職。ハスラー、CB750、ハーレーダビッドソンWL750に乗り、琵琶湖を北上して日本海に友人とキャンプに行くなどバイクと共に楽しい青春時代を過ごした。

その後、宝珠山村に戻り自動車部品工場を立ち上げる。

「23で田舎に戻って、夜も寝らんと仕事を軌道に乗せるためにとことん働いた。目の前にある仕事で忙しいでしょ。だからバイクは一回卒業」

バイク熱が復活するのは30を目前にした頃。後輩から「ハーレーダビットソンの1340ccを手放すのだが買わないか?」と持ち掛けられたことがきっかけだ。

ちょうどその頃、会社の規模拡大につれて岩下さんは経営者としての悩みに直面していた。初年度は売り上げ350万円からスタートした小さな会社は、毎年倍成長して7年目には売上約2億円、従業員が30人規模まで急成長を遂げていた。

あまりにも急成長だったため、取引先から警戒されて圧力をかけられるようなことも。「下請けでは限界がある」と「何か一生かけてやる仕事はないか?」と考えるようになった。そんな時は、由布岳や九重連山の雄大な山々へ登り次の展開を考えた。そこで頭に浮かんだのがバイク博物館だった。

「バイクが大好きだし当時日本にバイクの博物館はなかったから、造れたら素晴らしいなと」

こうして構想が動き始めた。

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