創設立役者なのに「台湾」がWHO参加できない事情 総会オブザーバー参加でさえ認められない状況

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日本政府は、早速国会にWHO憲章受諾の承認を求め、同年3月で可決。日本国はWHO憲章を受諾したのである。

その2カ月後に開催されたWHO総会では、日本のWHO加盟について、賛成54票・反対0票・棄権6票で無事に承認された。その場でオブザーバーという地位から正式な加盟国となった日本を代表して、黒川厚生大臣が以下のように演説した。

「今日、日本国民は、過去を贖い、世界の平和愛好国と全ての分野で協力することで、国際社会における地位を回復することを切に願っております。議長、各国代表団の皆様、この投票によって、我が国が世界共通の歩みへと参画する扉が開かれました」

日本は、WHOへの加盟を通じ、国際社会の一員へと復帰する道を一歩進めたのである。

WHO創設の立役者だった台湾

一方、台湾(中華民国)は、WHO創設時からのメンバーである。というより、台湾がWHOを創設したとも言える。

1945年4月〜6月に開催されたサンフランシスコ会議(正式名称:国際機構に関する連合国会議)は、前年に米英ソ中の4カ国が開催したダンバートンオークス会議で作成された素案(ダンバートンオークス提案)を基に、戦後の国際機構に関する議論を行い、国連憲章を採択して国連の設立を決定した会議である。

同会議では、もともと議題にはなかった保健問題について、中華民国とブラジルが共同提案を行い、保健に関する新たな国際機関を設立すべきであると説いた。結果として、国連憲章が掲げる経済・社会的国際協力の目的の1つとして「保健」が明記され、国連の専門機関の1つとして「保健」が明記されることになり、1948年のWHO創設につながったのである。

しかしその後、1971年の国連総会に続き、1972年、WHO加盟国は「中華人民共和国政府の代表をWHOにおける唯一の正当な中国の代表として認め、WHOにおける地位を不法に占拠している蒋介石の代表を直ちに追放する」とWHO総会で決議し、台湾はその地位を追われた。台湾はWHO創設の立役者だったが、歴史はなんとも皮肉である。

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