創設立役者なのに「台湾」がWHO参加できない事情 総会オブザーバー参加でさえ認められない状況
「地理的空白を生じさせるべきではない」。これは、感染症危機管理に関する日本政府の一貫した立場である。新型コロナ危機に揺れる本年5月のWHO総会に際しても、加藤官房長官は「地理的空白を生じさせるべきではない」として、台湾のWHO総会へのオブザーバー参加に支持を表明した。
1997年以降、台湾はWHOのオブザーバーとなるべく活動してきたが、WHO総会の正式議題に加えることすら政治的に叶わない状況にあった。また、2007年には、オブザーバーではなく、加盟「国」となるべくWHOに申請したが、それもWHO総会で加盟国に拒否された。
約40年ぶりに国際機関への扉が開いた
しかし、2009年に事態は一変。台湾は、WHO総会のオブザーバー資格を得、WHO総会に参加した。1971年の国連総会決議で国連を追われてから初めて国連機関への扉が開かれたのである。
背景には、台湾における民進党から国民党への政権交代がある。
台湾独立を推進する立場にある民進党の陳水扁政権(2000〜2008年)では、台中関係は良好ではなかった。その間、国民党主席の連戦は、2005年に中国の胡錦濤国家主席と会談を行い、関係強化を行なっていた。両者が発表した共同声明の中には、「WHOの活動への参加といった優先的な課題を含め、台湾民衆が関心を持つ国際的活動への参加を巡る協議を促進する。双方は、最終的解決を図ることのできる状況を作り上げるために協力する」という内容も含まれていた。
また、2008年には、中国の胡錦濤政権は、台湾政策の指針として6項目を発表し、その中で「『2つの中国』や『1つの中国と1つの台湾』といった状況を作り出さない限りにおいては、中国は台湾の国際機関参加について、適切かつ妥当な方法を議論する用意がある」と述べるなど、「1つの中国」という中国の掲げる原則を犯さない限りにおいて、台湾のWHO総会への参加について柔軟な姿勢を示した。
そのような政治状況下、2008年に台湾総統選挙で国民党が勝利し、馬英九政権が誕生。国民党の政権復帰によって、台中緊張関係が緩和に向かった。そして、数カ月の交渉の末、当時のWHO 事務局長マーガレット・チャン(香港人)が台湾保健省に招待状を送付し、台湾のWHO総会へのオブザーバー参加が実現したのである。
WHO総会では、日本政府代表団は「日本は、インフルエンザなどの保健問題に対する公衆衛生的対応において、地理的空白をなくすことの重要性を幾度も強調してきた」と述べ、台湾のオブザーバー参加を歓迎した。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら