日本一速い男、星野一義の副業ビジネス成功例 創業40年以上、インパル創業から現在と未来
1947年、静岡県出身の星野氏は、高校を中退し、レースの世界に入る。当初は、2輪車でオフロードを走るモトクロス競技に出場し、全日本選手権のタイトルも獲得したが、その後、4輪レースに転向。1969年に日産自動車のファクトリーチームと契約し、トップドライバーとして活躍する。
ホシノインパルをはじめた経緯を星野氏は、「将来に不安があった」からだと語る。「レースもプロスポーツの世界である以上、いかに速くて成績がいいドライバーでも、いずれ引退し、若い選手と入れ替わらねばならないときがくる。引退後には、例えばプロ野球であればチーム監督、相撲なら部屋の親方といった道も可能性としてはあるが、レーシングドライバーにはそういった道がほとんど開かれていなかった。『日本一速い男』と呼ばれていても、レースだけでは食べていけないと思った」という。
「ホシノインパル」という社名の由来
実際、引退後に飲食業などの事業をはじめたが、失敗してしまった先輩の元選手などもみてきた。「学歴も高校中退の中卒だし、自分にできることは自動車に関わることしかない」という考えから、レースで培ったノウハウを生かしたパーツ製作の道を選ぶ。当初の拠点は東京都三鷹市だったが、1985年に東京都世田谷区桜丘の環状8号線沿いに移転、ショールームとファクトリーを備える「ガレージインパル」を現在の本拠とする。
なお、社名に付けられた「インパル」は、「衝撃」とか「衝動」という意味の英語「インパルス(IMPULSE)」が語源だ。アイデアは、星野氏が2輪のレーシングライダーだった時代の盟友で、一緒に会社を立ち上げた故・金子豊氏が辞書などを調べ提案した。レースで激しい走りや闘志をみせた星野氏によくマッチしたネーミング。だが、「そのままでは語呂が悪いと思った。ホンダの(ビジネスバイク)『カブ』のように言いやすくて覚えてもらいやすいほうがいいから、『ス』をとった」という。40年以上続く老舗の企業およびブランドの名称は、このときに金子氏と電話でやり取りしただけで、意外にもあっさりと決まった。
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