アイドルが宝塚歌劇団を超えられない納得の理由 一過性のブームではなく人気が衰えない秘訣

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「あえて限定する」という節度の有無だ。

阪急創業者の小林一三は、宝塚歌劇団のモットーとして「清く正しく美しく」を掲げた。宝塚は提供するエンターテインメントの内容にこの理念を反映している。のみならず、ビジネス面から見てもグリーディさを剥き出しにしていないからこそ、長期にわたる人気を生み出すエコシステムの維持をなしえている。

長く人気が続く理由とは

どういうことか。

たとえば、宝塚はロングラン公演をしない。客が入ろうと入るまいと、公演が1回切りでも何百回やろうともおおよそ等しくかかる固定費が重いのが舞台ビジネスである。たとえば衣装や舞台装置の製作がその代表的なものだ。この固定費を回収し、利益を増やすために、人気が出た演目であれば何十回、何百回とロングランで公演を続けるのがセオリーだ。

しかし、宝塚はロングラン公演をしない。突出して人気のあるトップスターが出演する演目だとしても、公演回数は基本的にあらかじめ決められたものから増えも減りもしない。

ヒットした商品やサービスは勝ち馬に乗って売れる時期に最大限売り伸ばすのが商売の常識であるにもかかわらず、宝塚はそのやり方を変えない。
そのメリットは何だろうか。「いつでも、何回でも行ける」となると、むしろなかなか行かないのが大半の人間の「さが」である。あるいは、通いすぎて飽きてしまう場合もある。

しかし、公演回数を限定することによって、チケットの希少性(=ファンの飢餓感)が高まる。それがファンの気持ちに火を付ける。「行ける機会がこれしかないなら、可能な限り行きたい」「これを逃したら次に観られるのは半年先になってしまう」という強い動機となる。

しかも、宝塚ではスターひとりひとりが、そもそも初演から卒業まで十数年という時限性を帯びた「終わりがある」存在であり、どんなに人気が出たとしても活動期間にはおおよそ期限がある。にもかかわらず、公演回数はきわめて限られている。

タイムリミットが示されている存在だからこそ、推す側はその限定された時間を最大限に愛おしみ、出費を惜しまない。だから行けない場合やライブビューイングや公演DVDなどで代替するしかない。けれど生の観劇の魅力には当然ながら及ばず、さらに飢餓感は高まる。

つまり、ファンからするとチケットを手に入れたいのに十分に手に入らない。ゆえに、「欲しい」という気持ちが途切れなくなる。手に入った場合に生じる「今回はラッキーなことに観に行けた」という満足も、手に入らなかった場合の「観に行けなかった」という後悔も「次のチケットは欲しい」という気持ちにつながる。

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