豊臣秀吉が「大坂城より力入れて造った城」の正体

「本能寺の変」後に歴史に残る城を多く築いた

家康関係の城の作事奉行として大活躍したのが小堀政一(こぼりまさかず)である。遠江守に任ぜられたので、ふつうには小堀遠州の名で知られている。もっとも、多くの方は、築城家としてよりも茶人としての小堀遠州の方になじみがあるかもしれない。数寄屋造りなど、茶の湯関係の建築で知られ、遠州流茶道の祖であり、各地に庭園を多く残している。

慶長6(1601)年、家康が伏見城を再築するとき作事奉行を務め、以後、駿府城、名古屋城、二条城などほとんどの城の作事奉行を務めている。そして、作事奉行小堀遠州とコンビを組んだのが城大工の中井正清である。中井正清も受領名が大和守だったので、中井大和として知られている。中井大和にふれる前に、城大工の説明をしておこう。

築城を専門とする城大工も誕生

中世において、専業の大工を必要とするような建物は寺か神社である。したがって大きな社寺になると「社寺被官大工」といったような大工集団を抱えており、彼らは寺大工や宮大工などとよばれていた。

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また、戦国大名の中には、例えば北条氏のように、社寺被官大工を召し寄せ、これに扶持を与え、鍛冶・大鋸引(おがびき)などとともに抱えるというケースもあり、築城を専業とする城大工が出はじめる。熱田神宮の宮大工で、のち、信長に取り立てられて安土城の建築にたずさわった岡部又右衛門のような例もある。

そうした、寺大工、宮大工から城大工に転身した1人が中井正清だった。

中井正清の父、正吉は、奈良法隆寺大工中村伊太夫に養育されたといわれており、中井家は奈良大工の系譜を引いていたと考えられる。

正清が家康の命を受けてはじめて従事したのは、信憑性の高い史料でみるかぎり、家康の二条城の造営である。以後、すでにみた作事奉行小堀遠州とのコンビで、元和5(1619)年に亡くなるまで、伏見城・江戸城・駿府城・名古屋城の天守の造営にたずさわったことが知られている。

なお、もう1つ城大工として知られる家があった。幕府の大工棟梁甲良(こうら)氏である。

甲良氏の祖とされる宗広は、近江国犬上郡法養寺村の出身で、元来は社寺建築にたずさわり、建仁寺流という技法の伝統を受けついでいたといわれている。宗広の子、宗次が慶長11(1606)年の江戸城改築、さらに翌年の天守の設計に加わり、その子孫は江戸城の建物の造営に従事していた。

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