文大統領を自画自賛させた「バイデン外交」の周到 中国対抗の一環、韓国取り込みにあの手この手

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800キロという射程距離には大きな意味がある。800キロの射程は韓国から発射するミサイルが北朝鮮全土をカバーすることができる。しかし、ソウルと北京は950キロあることから、北京には届かない。軍事的には絶妙の数字なのだ。

つまり、射程距離の制限撤廃は、韓国のミサイルが北朝鮮を超えて北京に届くことが可能になることを意味する。もちろん韓国が直ちに北京に届くミサイルを開発するわけではないだろう。しかし、中国にとっては穏やかな話ではない。

アメリカ軍のTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)が2017年に韓国に配備されると、中国政府が中国人の韓国旅行をストップしたり、韓国製品の徹底した不買運動を展開するなど激しく反発したことは記憶に新しい。今回のミサイル指針の撤廃に対して中国は今のところ強い反発はしていない。しかし、中国と韓国の間にすき間風を吹かせる効果を持っていることは間違いない。

北朝鮮問題にアメリカは「ゼロ回答」

一方、文大統領がこだわった北朝鮮問題について、アメリカは事実上のゼロ回答だった。首脳会談でどこまで話されたかは知る由もないが、国連安保理制裁の緩和や韓国が独自に実施する北朝鮮への支援の容認などは、共同声明でまったく触れられていない。そして、北朝鮮の完全な非核化や人権状況の改善など、これまでと変わらない方針が合意されている。

韓国側はバイデン大統領に対し、トランプ前大統領のようなトップダウンによる米朝首脳会談を期待していたようだが、バイデン大統領にそんな気はなさそうだ。かといってオバマ元大統領時代の「戦略的忍耐」という名のもと、何もしないというわけでもなさそうだ。一気に問題解決を図るのではなく、実務家同士の交渉を積み上げ、北朝鮮から譲歩を引き出していくボトムアップ方式で臨むようだ。

であれば文大統領の任期中に、北朝鮮問題の大きな進展は期待できない。つまり、文大統領の要求は受け入れられなかったに等しい。

結局、共同声明の全体を見ると、美辞麗句で装いながらも韓国を同盟国の一員として対中戦略に組み込もうというアメリカの戦略がしっかりと盛り込まれている。自らの主張を強引に受け入れさせることしか考えなかったトランプ政権の直線的外交とは対照的に、バイデン政権の外交ははるかに洗練されていると言えそうだ。

薬師寺 克行 東洋大学教授

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やくしじ かつゆき / Katsuyuki Yakushiji

1979年東京大学卒、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸や外務省などを担当。論説委員、月刊『論座』編集長、政治部長などを務める。2011年より東洋大学社会学部教授。国際問題研究所客員研究員。専門は現代日本政治、日本外交。主な著書に『現代日本政治史』(有斐閣、2014年)、『激論! ナショナリズムと外交』(講談社、2014年)、『証言 民主党政権』(講談社、2012年)など。

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