できるリーダーは「存在感が薄い」納得の理由 老子が考える東洋人らしい「美しい人間性」とは
私はこれまで多くの経営者と付き合ってきましたが、この老子の言葉を読み、一番に思い出すのはソニー創業者の一人である盛田昭夫さんです。
盛田さんは、自分自身が世界中を飛び回り、ソニーの信頼を得るための働きを精力的にしていました。といって、盛田さん自身が何か契約を取ったり、具体的なビジネスをガンガン進めるというよりは、そういうことは後にやってくるソニーの担当者が担っていました。人知れず、盛田さんが足場を築いておいて、そこをソニーの社員たちが歩いていく。そんな仕事を盛田さんはしていたのです。
「美しい人間性」という誇れるアイデンティティ
最近はSNSの広がりもあって、自身の功績や実績を積極的にPRして、個人のブランドを高める傾向も強まっています。ブランドを高めることで、求心力を持ち、多くの協力者やフォロワーを得てビジネスを展開していく。オンラインサロンなどは、その典型かもしれません。
そういったリーダーシップやカリスマ性を否定するつもりはありません。それも1つのあり方であり、現代において有効なスタイルではあるでしょう。
しかしその一方で、論語や老子が語る「恥の精神」であるとか、「最高のリーダーの存在感の薄さ」というのも、決して軽んじてはいけないものです。それこそが、東洋の、あるいは日本の美意識や文化であり、「美しい人間性」という誇るべきアイデンティティの源泉でもあるからです。
最後に、少し雰囲気の違う老子の言葉も取り上げておきます。
古のよく士なる者は、微妙にして玄通し、深きこと識るべからず。
昔から優れた人というのは、つかみどころがなく、よくわからない。奥深く、何事にも通じていて、底が知れない。そんな意味合いの言葉です。
「玄通」の「玄」とは「玄人」という意味。優れた人というのは、玄人しか通用しない世界を持っている、言わば「プロ中のプロ」ということです。いろんなことを知っているでしょうし、1つのことに没頭して、深く考え込んでしまうと、周囲はいったい何を考えているのかわかりません。そんな「つかみどころのない、凄みにある人」もよくいるでしょう。
優れた人というのは、そんなに単純には表現できない、ということです。たとえば西郷隆盛などは、人懐っこい性格で、こんなに優しい人はいないと感じさせる一方で、とても同じ人物とは思えない冷酷非情な決断をすることもありました。
とらえどころがなく、底が知れないけれど、玄人しか通用しない世界観を持っている。優れたリーダーとはそういうものです。
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