私が、そうだった。
だって「旬のグルメ」「季節限定」なんてプレミアムなレストランのうたい文句と思い込んでいたら、そこらの空き地にすべてがタダでワラワラと埋まっていたのである。「結局さ、お金がなけりゃどうにもなんないっしょ」という身もフタもない圧倒的現実の横っちょに、案外でっかい穴が堂々と開いていたんである。そんな間抜けすぎる現実を見てしまったら、笑うしかないではないか。
幸せになるにはとにかく勝ち残らねばと焦り、イケ好かない上司の査定に一喜一憂している自分が可笑しく思えた。いや案外この世の中って、閉塞感どころか隙間だらけなんじゃ? ちょっと視点を変えれば、お金があろうがなかろうが、「豊かに」生きていくことなんていくらでもできるんじゃ?
私は、そんな夢の種を食らったのである。
「おいしい」かどうかはどうでもいい
変わったのはそれだけじゃなかった。私の中で「おいしい」という感覚が劇的に変わったのだ。
ずっと「おいしいもの」に多大なる情熱を傾けて生きてきた。店をめぐり、珍しい食材を手に入れ、キラキラしたレシピ本を買い、「おいしい!」と叫んでは充実を感じた。それは我が人生の豊かさの象徴であった。
でもこの採取生活を体験してから、「おいしい!」かどうかは二の次三の次、その重要度は激しく後退してしまったのだ。
代わりに急浮上したのが「食べられる!」という喜びである。
だって、あのタンポポが……食べられる! 雑草にしか見えないカラスノエンドウが……食べられる! とげだらけのアザミも……食べられる!
それから……そうそう同好の士に教えてもらってツバキの花を天ぷらにして食べたときの衝撃といったら! あれは天使の味がしたね。思わずわたしゃ天国にいるかと思いましたヨ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら