甲子園出た起業家「主将は中間管理職」と語る訳 アメリカに憧れ、上原浩治氏のマネジメントも
「社会人1年目に少し壁にぶち当たって、うまくいかなかったんです。プロが無理だったら、どうしようかなと考え始めたのはその頃ですかね。
漠然と、スーツを着てスポーツの仕事をしたいなと思っていたので、ずっと頭にあったスポーツマネジメントの世界に行ってみたいなと思うようになっていました」という。
社会人になったら野球経験は無駄になるのか?
競技生活の間にはこのような葛藤もあったそうだ。
「4年間社会人野球をやりましたが、プロに行ったヤツはその4年の間にプロ野球選手としてプロでバリバリやっているわけです。一方、学生で野球を引退して就職したヤツは仕事を覚えて企業社会でバリバリ働いている。
この4年間僕は野球を中心にやっていましたけども、社会人野球でプレーができることに感謝していましたが、プロにも行けないしビジネスマンでもないような……『俺は何してんねん』という葛藤が、26歳までありました」
自分の中で「野球はちゃんとやりきって終わろう」と思うことで振り切れたという澤井さん。しかしながら、長年の競技経験が「忍耐」として、ビジネスパーソンに転身した今も生きているという。
「野球などスポーツをやっていると、勝つ・負ける、打てる・打てないと目に見える結果が出ますよね。結果を出すために練習するという、とてもわかりやすいんです。
でも、ビジネスって何をしたら結果を出せるのかという正解がなかなか見つからないですよね。その中でも、耐える、つまり、目標に向けて結果が出るまで動くという考えで取り組めています。耐えるということはつまり、『やっても意味なかったやん』で終わるのではなく、『これはもしかしたら次にこういけるかも』と前向きに取り組むということです」
また「野球しかやってきていないので、いろんなことを吸収しようという思いもありました。一方では体力はあるので、頑張れるという面もあります。
我慢強く、次のステップに行けるようにアプローチし続けるということは、結果を追い求めるというスポーツ、野球をやっていて身に付いたことかもしれないですね」という。
もう1つ、高校時代、甲子園出場チームを束ねたキャプテンとしての経験についても尋ねると。