渡邉光一郎・第一生命社長--株式会社化はゴールでなくスタート、海外でも欧米系生保との差別化は可能

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渡邉光一郎・第一生命社長--株式会社化はゴールでなくスタート、海外でも欧米系生保との差別化は可能

生保業界2位の第一生命保険は4月1日、相互会社から株式会社に転換し、株式を上場した。生保の上場ではT&Dホールディングス<8795>が先行しているが、大手生保としては初の上場となる。日本初の相互会社が株式会社化に踏み切った、という点でも注目されている。第一生命の渡邉光一郎社長に今後の戦略を聞いた。

--株式会社化に際しては、海外展開を積極する方針を掲げておられますが、アジア・オセアニア、中でも中国、インドなどは外資規制があり、競争も激しく、文化的な違いもあって簡単ではないと思います。どのような戦略をお考えですか。

もともと、当社には国際保険振興会(FALIA)という財団があって、1970年からこのアジア・オセアニアの研修生を受け入れており、われわれが講師となって研修を続けてきた。この元研修生たちはその後いろいろな国の経営者にもなられていて、アジア・オセアニアには親近性がある、というのがこの地域を重視する大きな理由としてあります。

5、6年前、タイのバンコクで東アジア保険会議があり、このFALIAが事務局をしたことがあった。そのとき、私は担当役員として出席させてもらったのですが、この会議は私にとっては非常にショックでした。というのは、東アジア保険会議という名称にもかかわらず、欧米系と思われる参加者が非常に多かった。なぜこんなに欧米の人がたくさんいるのだろうかと。

実はこれは当然のことで、たとえば当時のタイでは、米国系のAIG、AIUが45%以上のシェアを持っていました。アジアにはすでに欧米系の生保会社が相当参入した状態だった。 日本の「失われた10年」の大きさというものを実感しました。「ザ・生保」といわれていた時代、われわれは世界の生保会社だったはず。欧米も含め、世界の相互会社がトップテンだった。それが「失われた10年」の間に、まるで違うポジションになってしまったわけです。

このころ、当社はベトナムに100%子会社、インドでは国営銀行との合弁を設立する、といった動きをしていた。当時の狙いは貯蓄分野です。欧米の生保も貯蓄分野としての参入が多かった。当社もインドはすぐにリテールは難しいと考え銀行窓販からスタートした。ベトナムも養老保険に近い貯蓄分野としてスタートしたわけです。

ところが、この貯蓄分野だけの発展形でいくと、将来、当社は欧米の生保会社との関係においては強みを発揮できないのではないか、と考えた。日本での経験を生かし、差別化する必要がある。

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