日本女性の「パリ好き」の源がハリウッドの必然 住まう人たちの息づかいが伝わるフランス映画

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映画は観客を楽しませるもの、という思考があるアメリカの映画と違って「芸術」が真ん中に鎮座しているフランス社会にとって映画は「客と議論するもの、感情を交換するもの」である(議論好きなフランス人については先の記事で語っている)。

そのためフランスで生まれ育った監督の作るパリを舞台にした映画は、その外見よりもそこに住まう人たちの息づかいや、時に息苦しさなどの内面をより色濃く表現するためにパリの風景を映しだす。

彼らにとってパリは生々しい匂いを放つ生きた存在である。

パリに住まう人々の情景が浮かぶ物語

セドリック・クラピッシュ監督の映画『猫が行方不明』(1996年)は普段のパリ、とくに11区に住む人々だけに焦点を当てた作品だ。バカンスに出かける間、猫を預かってくれる人を見つけるため、同じ界隈の住人やお店を訪ねて歩くところからこの物語は始まる。

セーヌ川北側に位置するパリ11区は、小さい雑貨屋、クラブやバーなどがひしめく生活空間だ。デモが行われる際に人々が集まるレピュブリック広場やナシオン広場もある。猫を探す過程で11区域のさまざまな人たちと関わっていくのだが、それが実にリアリティーに満ちている。

これがアメリカ映画だと「実は重大な秘密の入ったマイクロフィルムが猫の耳につけてあり……」などと物語が展開しそうだが、フランス映画ではそうはならない。実際に住んでいると出会うような人々が、そのまま等身大で出てくる。

ただおしゃべりしたくて電話してくる老婦人、下心から余計なことまでしようとする不器用な男、「外見が美しい、ということなんて意味ない」と叫ぶモデル。恋人が欲しくておしゃれして出向いた夜のバーで、どうでもいいヤカラに引っ掛けられ、そのヤカラの元恋人に逆恨みされる主人公の女性。

さらには、家まで送ってくれたバーの女性にキスされそうになり辟易し、慰めてくれた同居するゲイの男についちょっかいを出したら拒否され、さらに虚しくなるなどなど。誰にでも経験がある(?)愛くるしいエピソードたっぷりな「パリの日常」を内面から見ることができる映画だ。

静かだが強烈で独特な匂いがただよってくるように感じるのは、『5時から7時までのクレオ』(アニエス・ヴェルダ監督、1962年公開)。

死とは? 自分の存在意義とは? 他人と知人の境とは? 著名なポップ歌手であるクレオは、自分ががんなのではないかと暗く落ち込みながらパリの街をさまよう。自分の身の回りの親しいと思っていた人々にも、心を打ち明けられない違和感を感じつつ。

元写真家アニエス・ヴェルダの独特なカメラワークで映し出されるパリの街並みと、モンスリ公園はクレオの心情を映し出すことに集中している。

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