日本女性の「パリ好き」の源がハリウッドの必然 住まう人たちの息づかいが伝わるフランス映画

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パリの空と象徴的なアパートの屋根の映像から始まるのは『巴里の屋根の下』(1930年、レネ・クレール監督)。

「彼女が二十歳になったとき、年老いた母はある日やさしく彼女に言った
私たちの住んでいるこの家で、私はけっこう苦労したのよ
あなたを育てるのにはお金が要ったの。
でも、あなたも日に日にちょっとずつ 理解してきたと思う。
幸せとはなんのか」

耳に心地よい朗らかなシャンソンから始まるこの映画は、無声時代からトーキー、つまり「しゃべる」映画になって初めてフランスのパリに住む人々を撮っている。

物語の「詩」を強調する1つのエフェクトとして使われているこの「パリ」は実はすべてパリ郊外エピネーのスタジオで作られたセットである。そのため、よく見ると遠近法がおかしく建物がわずかにゆがんでいるが、この「現実と非現実の微妙なバランスから生まれる美の感覚こそがリアリズム」と称えるのはフランス文学者である中条省平氏(『フランス映画史の誘惑』)だ。

ジュリエット・ビノシュも全身でぶつかった「パリ」

最初に紹介した『ポンヌフの恋人』。実はこの映画に出てくるポンヌフも多大な金額をつぎ込んで南フランスに作られた大がかりなセットである。たびたび批判対象として取り上げられてきたが、そんな裏事情など吹き飛ばさんばかりにこの映画で私たちは「生身のパリ」に出会うことができる。

ミシェル役のジュリエット・ビノシュは、先に撮られた『汚れた血』(1986年)のときのように、「マドンナみたいに撮ってほしくはない。私だって動けるし、息もできる。あなたのカメラや照明下での表情とは違う美しさが私にはある」(フランスの映画専門雑誌『カイエ・デュ・シネマ』)、とカラックス監督に要求したという。

この映画で彼女は走る、叫ぶ、踊る、虚な目でさまよう、橋の下で素っ裸になって身体を洗うなど、全身で「パリ」にぶつかっている。

この映画ではパリ中心部にあり5つの線が交わっている「シャトレー」駅が出てくる。

チェロの音楽だけが地下鉄内に響きわたり、時に無音を交えながら、過去の恋人の奏でるチェロの音を探して駅構内を走り回るミシェルと、その恋人に会わせまいと先回りして走るアレックスの交互に映る姿。このピンと張るチェロの弦のような緊張感と焦燥感、その背景をいろどるのはパリの日常の地下鉄駅である。

監督レオス・カラックスのカメラを通して映し出される「パリ」は不安定でおぼろげで退廃的な光に満ちている。

最後、「果て」である港町ル・アーブルに砂を運ぶ船上でミシェルは叫ぶ。

“Tu peux rester au pieu, Paris! Oh!”

少々不良な言葉を使用しているので、「パリ、あんたは寝てな!」か、極道の妻風に言えば「パリ、お前さんはおねんねしとき!」のようなニュアンスか。

映画のパリ、実際のパリ、思い出のパリ、想像のパリ、セットのパリ……。どの「パリ」も紛れもなく「パリ」である。

山口 志野 ライター

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やまぐち しの / Shino Yamaguchi

1978年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科を卒業後、広告会社で勤務。2018年退職し、40歳で渡仏。パリ郊外にあるギュスターブ・エッフェル大学のマスター(大学院)文化芸術学部映画学科に2年間在籍、2020年ディプロマ(修士課程修了証)取得。現在はパートナーと10代の娘と同居しパリ在住。

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