新宿駅西口で始動、渋谷に続く「大改造」の行方 クルマから歩行者中心へ、東西の分断解消図る

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明治維新で宿場は消滅したが、入れ替わるように1885年、日本鉄道品川線(現在のJR山手線)の駅が開設される。当初の駅名は内藤新宿だったが、まもなく内藤の名が取れて新宿になった。4年後には甲武鉄道(現在のJR中央本線)がここから立川まで開通し、新宿は早くも乗換駅になった。

続いて東京市街鉄道(後の東京都電)、京王電気軌道(現在の京王電鉄)が乗り入れる。当時の京王線は新宿付近では甲州街道を走る路面電車で、新宿駅は東口側の新宿三丁目付近にあった。現在京王新宿三丁目ビルがある場所である。東京市街鉄道が乗り入れていたのも東口側で、繁華街はまず東口に形成された。

一方1927年には小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)が新宿―小田原間を一気に開通させ、西口に乗り入れた。さらに第2次大戦終盤には京王の変電所が空襲で被災し、電力不足で山手線や中央本線をまたぐ陸橋が登れなくなったことから、新宿駅が小田急の西隣に移転された。

東西方向に行き来しやすく

戦後は1952年に西武鉄道新宿線が高田馬場から乗り入れ、7年後に営団地下鉄(現在の東京メトロ)丸ノ内線が開通。この頃西口再開発の構想が生まれ、1960年に新宿副都心計画が決定し、閉鎖された淀橋浄水場跡地に高層ビルが林立するようになる。その後都営地下鉄の新宿線と大江戸線も開通し、現在の状況になった。

新宿駅に完成した東西自由通路。右奥が東口方面=2020年7月19日(撮影:梅谷秀司)

では新宿駅は今後どうなるのか。前述した「新宿の拠点再整備方針〜新宿グランドターミナルの一体的な再編〜」によれば、もっとも大きな変化はJR新宿駅の上に東西方向に行き来できるデッキを新設し、2020年に完成した地下の東西自由通路とともに東西骨格軸を形成することだ。甲州街道南側のサザンテラスのような場が、北側にも用意されることになる。

さらに西武新宿駅とJR・東京メトロ新宿駅、小田急・京王・都営地下鉄新宿駅と長距離バスターミナルのバスタ新宿との乗換通路を拡げるとともに、京王線ホームを北側に移動させ、ホーム階に改札を新設することも公表されている。この再開発では唯一ホームの位置が動く事例になる。

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