アマチュアからプロになったときに、壁にぶち当たることがあるという。
山口さんは女流棋士の渡辺弥生さんに、
「蒲田将棋クラブという将棋道場に強い人が集まるよ」
とアドバイスをもらい、ほぼ毎日通った。
16歳の段階では勉強と将棋の両立は無理だから、勉強は捨てようと決めた。
高校2年生のときでは勉強は学校の授業を受ける程度にし、毎日将棋を指すだけの日々だった。
「しかし父は私に大学への進学を勧めました。
『その年で大学に行った人しか経験できないこと、考えられないことがある』
と言われ、その言葉が胸に刺さったので、進学することにしました。大学に行くことで、将棋界に持ってこれるものは大きいとも思いました」
将棋界にずっといると、どうしても価値観が凝り固まってしまいがちだ。
だが将棋を見るお客さんたちの目線になるには、大学に行っていろいろな人の価値観に触れたほうがいいと判断した。
高校3年生は、将棋の勉強もしながら、家庭教師をつけてもらい毎日3時間勉強した。
そして家から通える距離の大学に進学することができた。
大学に進み、さまざまな意見に触れる
「大学1年生のときには、半年間だけですがアメリカンフットボールのサークルのマネージャーになりました。朝の練習会に行って、バケツを持って走っていました」
短い期間だったが、友達もできたし、別大学の人の話を聞くこともできた。
「そこで聞いたのが、
『人生にはマネージャーとしての生き方と、プレイヤーとしての生き方がある』
という話でした。自分はどういう道に進みたいのかあらためて考えて、自分はやっぱりプレイヤー的な生き方がしたいと思いました」
女性は「出産する」という選択肢もあるから、より決断はシビアになる。
「いつかは結婚したい」
「そして出産もしたい」
「プレイヤー的な生き方もしたい」
という人生で何を取捨選択するか、19歳のときに真剣に考えた。
「大学を卒業したら将棋界にどっぷりになるので、学生時代がいろいろな意見に触れる最後のチャンスだったんですよね。
生き方についてはまだ結論は出ていません。でも『自分に何ができるのか?』は今もいつも考えています」
高校~大学時代は、女流棋士としての仕事もしていたため非常に忙しかった。
「毎日数時間しか眠れず死にそうでした。本当にしんどかったです。何回か寝込みました。つらかったけど、行った意義はあったと思います」
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