ベストセラーでない「源氏物語」が生き延びた訳 矛盾に満ちた人間世界の懊悩がそこにある
『源氏物語』を知らない人の残念な共通認識
『源氏物語』は、「日本の文学史上最大のベストセラーで」、というようなことを言う人がいる。また、『源氏物語』は、平安朝の貴族世界の「雅び」の文学だと、思い込んでいる人もきっと多いことであろう。
こうした、いわば通俗な源氏観は、いずれも正しいとは言えない。
実際、これだけの大文学だから、昔からよく読まれていたのだと思い込んでいる人が多く、私が講演などで、いきなり「源氏はベストセラーどころか、どの時代でも、その読者は限りなくゼロに近かった」と話すと、吃驚(びっくり)したり憤慨したりする人がいる。
もうすこし詳しくこのあたりのことを説明すると、まず、『源氏物語』は、決して「今言う意味でのベストセラー」などではなかった、ということだ。平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして近現代と、どの時代で観察してみても、この長大で難解な物語を自由に読める人など、限りなくゼロに近かったのである。ただ、ごく限られた貴族社会の人たちや、すぐれた知識階級の人士が、細々と読んでいたにすぎない。
そもそもが、中世以前は写本で伝えられていたにすぎないから、その本を実際に見ることができた人など寥々たる数であった。じっさい、『更級日記』にも、その冒頭で、
「世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなるひるま、よひゐなどに、姉まま母などやうの人々の、その物語、かの物語、光る源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ」
とあって、東国上総の田舎で育った作者・菅原孝標の娘でも、なかなか源氏物語の本を見る機会のなかったことを嘆いている。まして、一般庶民においてをや、というものである。
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