”食のクールジャパン”を世界に売り込む男 日本の外食は世界で稼げるのか?
それにしても、このポジティヴな考え方はどこからくるのか? 吉川氏には7億円の借金を背負った過去がある。
立命館大学を卒業した吉川氏は京都の信用金庫に就職し、融資を担当した。「将来、起業できたらと思っていたので、お金の借り方を勉強したかった。2年弱でしたが、事業計画、資金繰りなどを学びました」
その後、東京のコンサルティング会社に転職し、たまたま外食産業を担当した。これが外食との出会いだ。一年半後にベンチャー企業を支援する会社に移り、飲食店の出店サポートと多店舗展開する企業のコンサルティングを手がけた。さらに、出店のファイナンスなどを手がける店舗流通ネットに2年半ほど勤めた。
「企業ごと、あるいは10店舗、20店舗まとめてのM&Aなどを経験しました。幸いIPOまでいき、オーナーが2千万円の資本金を出してくれました」
26歳で独立して始めたのは居酒屋だった。渋谷の道玄坂に今もある、沖縄料理の「ちんとんしゃん」だ。
「単価が高いと、料理も内装も求められるレベルが上がり、難易度が高くなるので、まずは2500円~3000円の単価の安い業態から始めました」
赤字店が増えて、借金返済の日々
最初の一年は苦戦したが、2年目には黒字に転じ、焼肉、ワインバルなど、業態の異なる店を次々に出した。3年目には10数店舗、一時は25店舗まで増やした。
「やりすぎです。2005年、2006年頃で金融のマーケットがよかったので、ベンチャー企業で黒字が出ていれば、銀行が積極的にお金を貸していた時期でした。どうぞ借りてください、じゃあ借ります、みたいな感じだったんです」
しかし、出店のスピードがあまりに速すぎた。会社の仕組みがまだ固まっていなかったこともあり、赤字の店が増えて大失敗。借金は7億円に膨らんだ。
「一ヶ月は落ち込みました。でも、バンザイするか返すかのどちらかしかない。返せると思っちゃったんです」
もともとお金を貸す側にいたから、銀行の事情はよくわかる。
「みんなびっくりして逃げちゃうんですけど、銀行は逃げない人にはやさしいですよ。貸し手は逃げられるのが怖い。返してもらったほうがいいに決まっている。電話に出なかったり、夜逃げしたりしないで、ちゃんと返していけば、オイコラなんて言われません」
そこからは、赤字の店を閉めて黒字の店を増やす、スクラップ&ビルドを繰り返した。利益の出る店を作っては高く売る。金融にいてM&Aをやっていた経験が生きた。
現在、吉川氏の店は9店舗、社員は約40人。返済はほとんど終わっている。そして、「借金を返すだけの人生はつまらない。次の一手を」と考えたのが、和食での海外進出だった。
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