3試合では運の要素が大きく、ランダム
さて、サッカーの試合は人生と同じく、ランダムな結果になることが多い。W杯という極度の緊張空間、ブラジルの高温多湿の天候(思うに、世界最高峰のサッカーを見たいわけだから、選手の最高のパフォーマンスを発揮できる室内競技場などの環境を用意できない場所ではW杯を開催すべきでないのでは、と雨と汗にまみれた選手たちをみて思ってしまう)、1点先制されたときの焦り、不意の事故による主力選手の退場、たまたま手に当たってしまったハンド、たまたま足に当たってしまったオウンゴールなどなど、偶然の産物が試合の結果を大きく左右する。
したがって、4年前に言われた“攻撃型サッカーへの転換”を図って仮にそれに成功したところで、必ずしも勝てるわけでもないのだ。
仮にもしも、何十試合もするのであれば、各国チームの実力どおりの結果に勝率や順位は収束していくことだろう。しかし予選ラウンドはたったの3試合しかなく、運の要素が強くなる。たとえば野球において圧倒的勝率で優勝したチームが、プレーオフであっさり敗退するのと似たことが起こるのだ。
結果的に前回王者のスペインが予選落ちしたり、“死の組”でカモになるかと思われたコスタリカがウルグアイとイタリアを破って真っ先に予選突破したりするなど、今回も大番狂わせがたくさん起こっている。W杯の試合で「なぜ勝ったか」「なぜ負けたか」を議論するのは総じて不毛で、真の理由は「単なるランダムな偶然で結果が決まり、後付けであーだこーだ言っているだけ」というのが、大半のメディア報道およびネットの書き込みであろう。
真のサポーターとは何か
W杯を見ていると、それぞれがW杯に何を求めているか、さまざまなパターンがあることに気づく。中にはナショナリズムの高揚手段として、日本代表が他国のチームに打ちかつシーンを何が何でも見たい人がいる。
もしくはどこが勝とうが、世界最高水準の試合を見たいという純粋なサッカーファンもいる。中にはとにかく世間が大騒ぎしているから一緒に一体感を持って盛り上がりたいという人もたくさんいて、また中には、これは渋谷のハチ公にまたがってビールをあおりながらハイタッチを繰り返して、単に騒いで日頃の鬱憤を晴らしたいだけの“困った人たち”も存在する。
こんな中、真のサポーターとは何かを考えたとき、やはりチームが勝っているときに喜びを分かち合うだけでなく、負けているときこそ支援してくれるのが、文字どおりサポーターではないだろうか。国を背負って日頃から努力を重ね、重圧を背負って全力で戦い、不本意な結果にいちばん気を落としているのは、ほかならない選手やび監督であるはずだ。
そんな人たちに、「国の恥」「レベルが低い」「何をやっているんだ」などの罵声を浴びせている人が多いのを目にして、心優しきグローバルエリートの弟子であるブラザーキムは、たいへん胸を痛めている。
W杯だろうがオリンピックだろうが、負けたくて負ける代表選手がひとりでもいるだろうか? 皆それぞれに、故郷にいる人たちを喜ばせたい、元気づけたいと思って一生懸命なはずだ。香川選手にしても、東北震災の被害者の人たちを勇気づけるために、どれほど勝利に貢献したいと思っていたことだろうか。亡き父に勝利を誓った大久保選手にしても同様である。そして同じことは、すべての参加国のすべての選手に当てはまるのである。
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