この講座の課題で、清水さんは3分間の『家庭訪問』というタイトルの映像作品を撮った。
「脚本は大学時代から温め、石堂さんにも初めて褒めていただけた、サイコサスペンス作品でした。不登校の小学生の自宅を訪れた担任教師が家庭内に異変を察知します。最初は『2階で母親らしき女性が死んでいる』という流れだったのですが、何度も書き直しているうちに『2階で死んでいる女性がよみがえって、階段をはいずって降りてくる』というホラーになっていました。この作品は『呪怨』の原型と言える作品です」
清水さんは、90人中4人だけが選ばれる卒業制作の監督には選ばれず、別の監督の撮影助手をしていた。
しかし課題映像『家庭訪問』を見た黒沢清さんに呼び出された。そして
「君の作品は怖くて面白かったから、すぐに作品を作ったほうがいい」
と言われ、映画の制作会社のプロデューサーに紹介された。
「そして関西テレビの『学校の怪談』の特番用の3分の作品を2本撮ることになりました。最初は30分の作品と聞いていたので、30分用の脚本を書いていたのに、急に変わったので困りました。ただそのときは『黒沢清監督オススメの若手』という以外何もなかったですから、仕方がないですね」
その2本の作品は、映画監督、脚本家の高橋洋さんに絶賛された。そして高橋さんからまた別のプロデューサーへ紹介され、オリジナルビデオ作品を2本監督することになった。
そして『呪怨』『呪怨2』が生まれた
「10日間で70分超えの作品を2本撮る」というかなりタイトなスケジュールだった。予算もかなり低く抑えられていた。
「まだ僕は27歳で、実績もほとんどなかったですし、当時はそこまで若手の監督はさほどいなかったですからね、初めて仕事をするスタッフたちからは『若造になにができるんだ』という空気がびしびし伝わってきました。とにかく経験がないし、シーンを撮りこぼすのも怖かったですから、つねに巻き(予定より早く)気味に撮影を進めました」
そうして2000年に発売されたのがオリジナルビデオ版の『呪怨』『呪怨2』だ。
レイトショーで劇場公開されたものの、基本的にはビデオで見ることを前提に作られたVシネマ作品だった。
その当時のオリジナルビデオ作品といえば、ヤクザモノ、エロモノが多かった。だが1998年の映画『リング』の大ヒットを受け、各社ホラーモノのオリジナルビデオ作品を作り始めていた。
「高橋洋さんが脚本の面倒を見てくれました。ファミレスで2人で延々と作業していたんですが、高橋さんから的確なアドバイスを受けても、
『これが僕のスタイルなんで』
と言い返したりしてましたね。いや、われながら何も知らない若さって強いなあ(笑)」
『呪怨』は発売されてしばらくしてから「とても怖いビデオがある」と話題になった。筆者も当時その話題を耳にして、さっそくレンタルビデオ店に行った記憶がある。
その流れでまた別のプロデューサーから、映画『富江』シリーズの第3弾に興味はありませんか?と声をかけられた。『富江』は伊藤潤二さんの人気漫画を原作にした、ホラー映画シリーズだ。
そして清水さんは29歳のときに『富江 re-birth』で劇場映画監督としてデビューすることになる。
そして2003年には『呪怨 劇場版』が公開されることになった。
「今思えばトントン拍子ですが、当時はあまりそういう意識はなかったですね。ただただ夢中で、吐き出したいアイデアであふれてました。先にも言いましたが、今なら10代の監督もいますから。いいなあと思います」
実は『呪怨 劇場版』が公開される前に、『呪怨2 劇場版』の製作が始まっていた。映画がヒットするかどうかは、公開されるまではわからない。それなのに2を作り始めていたというのは、プロデューサーを務めた一瀬隆重さんの先見の明だったと言える。
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