「呪怨」をつくった清水崇の粘り強く快活な人生 群馬生まれの少年が描いた妄想が世界に届いた

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『呪怨 劇場版』『呪怨2 劇場版』はヒットをおさめたが、勢いはここで終わらなかった。なんとアメリカでリメイクするという話が舞い込んだ。これも最初はVシネマ版の段階で出ていた話だが、そのときは国内の劇場版の準備真っ最中で、少し先延ばしになっていた。

映画『リング』も『ザ・リング』としてハリウッドでリメイクされたが、監督はアメリカ人監督が起用された。『THE JUON/呪怨』では清水さんが日本版に引き続き監督したらどうか?という話になった。

これは、すばらしいチャンスに思えるが、意外なことに本人はまったく乗り気ではなかったという。

「一瀬さんが『ハリウッドに行きたい』という野望を持ち、東映Vアメリカなるアメリカで制作するVシネマシリーズを手がけて地盤づくりをしていた人だったんです。僕は、ハリウッドには全然興味がなくてリメイクのはやりにも懐疑的だったし、何より『また呪怨……!? もういいよ……!』というのが本音でした。なので、

『僕はいいです。海外の監督が撮影した呪怨を楽しみにしてます』

と答えました」

一瀬さんは、

「こんなチャンスないんだよ!! 普通!!」

と清水さんを説き伏せようとした。

だがなかなか首を縦に振らない清水さんに、

「監督の意向はわかったから、一度、サム・ライミ監督に会いにいかないか?」

と提案された。

サム・ライミ監督に説き伏せられて

サム・ライミ監督は『死霊のはらわた』『ダークマン』『スパイダーマン(2002年版)』などを手がけた、大物監督でありプロデューサーだ。

『THE JUON/呪怨』は、当時サム・ライミ監督が起ち上げたホラーレーベル“GHOST HOUSE PICTURES”でプロデュースしてくれるという話になっていた。

「サム・ライミ監督には会ってみたいし、それなら行ってみるかと思いました。それまで海外には旅行ですら行ったことがなく、パスポートってどうやったらもらえるの?という状態でした」

サム・ライミ監督はちょうど『スパイダーマン2』の撮影中だった。清水さんが訪ねてきたのを喜び、ディレクターチェアに座らせ、

「次の『スタート』のかけ声、清水がかけてみるか?」

とジョークを言われた。

「プロデューサーと言っても、正直名前を貸すってだけで、作品は見てないんだろうな、くらいに思っていたんです。でも話をしていると『あのシーンはどうやって思いついたんだ?』とかすごく細かいシーンの質問をされて、本当に全部見てくれているんだ、と感動しました。そして、監督から、

『ぜひ一緒にやりたいんだけど?』

と言われて、さすがにこれは断れないなと思いました」

そうして『THE JUON/呪怨』の製作が始まった。『THE JUON/呪怨』はハリウッド映画ではあるが、舞台は日本であり、日本に留学しているアメリカ人が主人公だ。

「日本で撮影したので、アメリカ人のスタッフは半分くらいでした。それでも感覚の違いが大きすぎて、監督業務以外で気をもまされることが多く苦労しました」

そして完成した作品は、アメリカでプレミア上映(特別試写会)されることになった。アメリカのプレミア上映は、出演俳優などを呼び非常に大々的に行われる。

清水監督は、両親や弟夫婦、妹を日本の群馬から招待した。さらに、

「パートナーとして、誰か呼びたい人はいないのか?」

と聞かれた。

「当時付き合っていた、現在の妻に声をかけました。黒塗りの車が彼女の家まで迎えに行きましたし、荷物はつねにポーターが運んでくれました。空港からホテルまではリムジンで送ってもらえました。そのとき、こんなお膳立てされたタイミングは今しかないかもな……と思いロサンゼルスのホテルでプロポーズしました。

『こんな豪華な経験があったなら、もう結婚式いらないでしょ!!』

と思いましたね(笑)」

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