「府中青年の家事件」とは何か
事件が起きたのは1990年のこと。「府中青年の家」という東京都の公共宿泊施設を、同性愛者の団体である「動くゲイとレズビアンの会(アカー)」が利用したことに端を発します。従来は同性愛者の団体であることは隠して利用していたのですが、いつまでも隠しているのはなく、前面に出して理解を求めていくべきではないかとの意見が内部でありました。
そこで議論の末、夜の団体紹介の場で、「私たちは同性愛者の人権を考えていく団体です」と述べたところ、廊下ですれ違うごとに「あ、またホモがいた」、風呂場をのぞき込んで「あいつらホモなんだぜ」といった嫌がらせを受けてしまいました。誤解を解く場を開いてもらおうとしたのですが、充分なものにはならず、それどころか「府中青年の家」の次回以降の利用まで拒否されてしまいました。
東京都教育委員会の示した理由は、青年の家の「男女別室ルール」に従うと、同性愛者は室内で性交渉ができてしまい、青少年の健全育成によくない、というものでした。
これに対してアカーは、1991年に東京地裁に提訴します。全米で最も同性愛に対する理解の進んでいるサンフランシスコ市の教育委員長(自身も同性愛者)に証言台に立ってもらい、「セックスをしない、ということが保証されれば十分で、それでこちらではうまくいっている」という発言を引き出しました。つまり性交渉ができてしまう、というのが問題なのならば、それを禁止すればよいのであって、利用そのものを断る理由とはならない、と主張したのです。
さらに全国の青年の家を電話取材し、家族なら男女を同室に泊めるところ、部屋割りは宿泊団体に任せるところなど、男女別室ルールが都が言うように絶対的な原則ではないことを主張します。
東京地裁は1994年に、「性行為を行う具体的な可能性がなければ利用は拒否できない」としたうえで、「アカーにはそのような可能性はない」として、原告ほぼ全面勝訴の判決を出しました。注目されるのは、そこで同性愛について「人間が有する性的指向のひとつであって、性的意識が同性に向かうものである」という価値中立的な定義を与え、その観点に基づいたときに、差別・抑圧があることを指摘した点です。
ところが東京都は控訴。主張の中で、「90年当時は正確な知識がなく、拒否した判断はしかたなかった」と述べました。
圧巻の高裁判決「知らなかったでは許されない!」
これに対する1997年の東京高裁の判決は圧巻です。原告の全面勝訴を言い渡したのみならず、「行政当局としては、少数者である同性愛者を視野に入れたきめの細かい配慮が必要で、同性愛者の権利・利益を考えなければならない。そうした点に無関心であったり、知識がないということは、公権力の行使者として、当時も今も許されることではない」と断じたのです。
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