リクルート事件「江副浩正」を再評価すべき理由 日本で「グーグルとアマゾン」を作ろうとした男
マス広告とネット広告には決定的な違いがある。不特定多数の人々に広告を届けるマス広告は、持ち家に住んでいる人に不動産広告、定職についている人に求人広告、クルマを持っている人に新車の広告を届け、それらは「無駄撃ち」に終わる。広告が購入や応募に結びつく可能性はかなり低い。
ネット広告の場合、ネットで家探しをしている人に不動産広告、職探しをしている人に求人広告を見せる。利用者は「検索」することで、自分が何を求めているかという欲求をさらけ出し、グーグルのAI(人工知能)は、それぞれの人にマッチした広告を送り出す。購入や応募に結びつく確率は必然的に高くなる。
同じことを1960年代に考えたのが江副である。就職する会社を探している学生に『リクルートブック』(現在の『リクナビ』)、家を探している人に『住宅情報』(現在の『SUUMO』)を届けることで、利用者と企業をマッチングさせた。
江副が作った「情報誌」は「広告の寄せ集め」と見下された。しかしほとんどの読者、視聴者にとって「ノイズ」であるマス広告に対し、情報誌に載る広告は、仕事を探している人、家を探している人にとって貴重な「情報」だった。
リクルートの情報誌ビジネスは中古車(『カーセンサー』)、海外旅行(『エイビーロード』)、女性の転職(『とらばーゆ』)と、どんどん領域を広げていった。
そして日本でも通信自由化が実現した1980年代の半ば、江副は満を持して紙の情報誌からコンピューター・ネットワークに飛び移ろうとした。まさにグーグルを作ろうとしたのである。
江副は日本、アメリカ、イギリスに巨大なコンピューター・センターをつくり、これらを海底ケーブルで結んだ。コンピューターの処理能力を顧客企業に貸し出し、1日24時間のグローバル・サービスを提供しようとしたのだ。
今ではそれを「クラウド・コンピューティング」と呼んでいる。江副が始めようとしたサービスは、アマゾン・ドット・コムの「AWS(アマゾン・ウェブ・サービス)」に近い。
今こそ「江副浩正」を再評価すべき理由
だが日本からグーグル、アマゾンが産声をあげようとしたその矢先に、江副は思わぬ方向から飛んできた銃弾によってその社会的生命を絶たれる。「リクルート事件」である。
リクルート事件の評価について、ここでは述べない。しかし、もしリクルート事件がなかったら、リクルートはグーグルやアマゾンより早くネット社会のプラットフォーマーになっていたかもしれない。
江副が「戦後最大の経済事件の主犯」ではなく、「起業の天才」として世に認められていれば、その江副に憧れて日本でも続々と起業家が誕生していたかもしれない。日本経済の風景は、今とはまったく違うものになっていただろう。
リクルート事件は、日本におけるマスメディアからネットメディアへの移行も遅らせた。巨大な新聞、テレビが支配してきた日本ではメディアの古い構造が温存され、ネットフリックスやフールーのような新しいメディアが生まれていない。
しかし人々の手にスマートフォンが行き渡り、ネットが社会インフラに組み込まれた今、いよいよマスメディアの時代が終わろうとしている。電通や新聞大手の変調はその予兆である。江副が作ったリクルートの株式時価総額は約8兆円。電通のほぼ10倍である。
古い企業社会が制度疲労を起こしている今、日本に何より必要なのは新しいビジネスを立ち上げる「起業」である。コロナ禍を乗り越えた先に、新しい日本経済を作り出すためには、今一度、江副浩正という「起業の天才」の足跡を振り返る必要がある。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら