「ブラジル人は時間にルーズで、約束も守らない人が多いんです。イライラすることもありましたが、よく知るにつれて、すごく奔放でおもしろい人たちだと思うようになりました。ブラジル人は世の中の流れに順応して、つねに新しい価値観で生きているんです。その基本にあるのは、人生を楽しむということ。僕は父親の古い考えや頑固な性格が嫌いでしたが、ブラジル人たちと比べると、自分もそうだったと気づかされましたね」
ちなみにシュレックというニックネームは、最初に道場を訪れた瞬間、ブラジル人の柔術インストラクターに、「シュレックだ!」と言われたことが由来だ。関根さん自身も、「確かに似ているかも」と、名乗るようになったのだった。
そして37歳のとき、さらに大きな転機が訪れる。現職の警察官でありながら、格闘家としてデビューしたのだ。地元で開催されている格闘技の大会を観て、「自分もいけるのでは」と思った関根さん。偶然にも、大会の主催者は旧知の先輩であり、自分も出たいと頼んだところ、実現したのだった。実は昔から、格闘家へのあこがれがあったと、関根さんは振り返る。
「UWFインターの創設者である高田延彦さんと、(柔術家の)ヒクソン・グレイシーの試合から、(かつて存在した総合格闘技イベント)PRIDEが始まったんです。UWFが好きだった自分は、夢中になって観ていましたね。そのころから、プロレスラーとしても、格闘家としてもリングに立ってみたい、という思いがずっと心のなかにありました」
デビュー戦で見事に勝利を飾った関根さん。警察官をするかたわら、継続して格闘技の大会に出場し、7連勝と快進撃を続けていった。
43歳でやってきた「最大のチャンス」
43歳のときに、最大のチャンスが訪れる。世界有数の格闘技団体であるONEチャンピオンシップから、タイトルマッチのオファーがきたのだ。願ってもない展開だが、試合が開催されるのは海外で、準備期間を含めると1週間は拘束される。十分な練習時間を確保するためにも、警察官のままでは難しい。
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