中国口コミ1位カレー生んだ日本人の博打人生 マーケティングの常識では実現しなかった奇跡

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そこに、遊び仲間で飲食業を経営する先輩から「海外で一緒に仕事してみないか」と誘いを受ける。歌舞伎町でのホストクラブ経営でひと山当てていた先輩は、その余勢で上海、香港、シンガポールなど海外で事業を展開していた。どこでもいいよ、と選択カードを並べられた赤石氏が「ピンときて」直観で指を差したのは、上海だった。

「とにかく人生をリセットしたかったので、その先輩の誘いが渡りに船だったんですよね。上海、という響きにもなぜか引かれるものがありました。いま思えば何も考えていなかったのですが(笑)」

30歳を目前に、見知らぬ異国の地に今後の人生を賭ける大勝負に出た。

上海に渡り、気づいたら厨房に立っていた

2012年。赤石氏は単身上海に渡り、焼き肉店で働き始める。

「海外での仕事ももちろん初めてですが、飲食の仕事もまったくの未経験でした」

心機一転を図ろうという矢先だったが、いきなり大きな災難に見舞われる。日本政府が沖縄県尖閣諸島を国有化したことへの反発から広まった大規模な反日デモだ。

「他の店は窓ガラスが割れるなど大変な状況になり、僕の店も客足がまったく途絶えてしまいました。なんてところに来ちゃったんだ……と一気に不安になりましたね」

結局、その店を離れることになった赤石氏。寿司屋のホールマネジャー、カフェ店長……上海で一からやり直すつもりが、相変わらず職が定まらず飲食店を転々と渡り歩いた。

そして、現地で仲良くなった経営者の日本人女性に「遊んでいるんだったらウチに来ない?」と誘われ、彼女が経営する会員制レストランのマネジャーとなった。3LDKのマンションを改装し、いくつもの扉を通って入店するという秘密の隠れ家のようなレストラン。日系大手企業の駐在員などハイクラス層もよく訪れ、日本人の知り合いも増えた。

仕事もようやく軌道に乗ってきたかにみえたが、そこで働いていた日本人料理人が突然辞めてしまう。唯一の料理人を失い困り果てていた赤石氏に、女性経営者が言い放った。

「じゃあ、アンタが作ってよ」

寝耳に水だった。料理はもともと嫌いではなかったが、人のために料理を作った経験はない。ましてやそれでお金を取るなんて……。
無茶ぶりとも思えたが、赤石氏は厨房に立つことを決意する。

「生きるためには仕方ない、と腹をくくりました(笑)」

「出たとこ勝負」で上海に渡り、気づいたら包丁を握っている自分がいた。

次ページ「日本人割合0.001%」の済南市で勝負に出るが……
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