中国口コミ1位カレー生んだ日本人の博打人生 マーケティングの常識では実現しなかった奇跡
一旗揚げようと済南に来てからも、つまずいてばかりの日々。だが、これまでジェットコースターのような人生を歩んできた赤石氏には、「思いどおりにいかないこと」をデフォルトと思える強靭なメンタルが備わっていた。
「なんとかなるだろう、という根拠のない自信だけが支えでしたね。普通の人ならメンタルをやられると思います(笑)」
ただ、ひとつだけはっきりと言えることがあった。それは、現地の日本食が「とんでもなくまずい」ことだ。
「信じられないかもしれませんが、現地の日本料理店で出される味噌汁は、出汁を取らずに味噌をお湯でそのまま溶くんです。カレーも、カレールウをお湯に溶いただけ。日本人からするとコメもとても食べられる代物ではありませんでした」
そんなお店が堂々と「日本料理店」「カレー専門店」の看板を掲げて繁盛している。だから「いつかはわかってもらえるだろう」という希望はあったという。
助けてくれたのは上海で築いた人脈
客足がなかなか伸びない時期、赤石氏のお店を助けてくれたのが、実は上海時代に培った日本人の人脈だった。
「仕事で済南に来ていた日系商社の社員が、たまたま僕のお店に入ってきたんです。話しかけてみたら、その人の上司が上海時代の会員制レストランの常連さんだったんですよ」
その日を境に、まず現地駐在員のネットワークから口コミが少しずつ広まっていった。特に看板料理のカレーの注文が増え、「ようやく本当のカレーを食べられるお店に出会えました」と100キロ以上離れた遠方からわざわざ来店する人まで現れた。日本で働いていた、留学していたという中国人が「日本で食べていたものと同じ味の料理を済南で食べられる!」と聞きつけ、来店するようにもなった。
そして、徐々に現地の中国人にも知られるようになっていった。爆発的なヒットこそないが、「本当のカレーを食べられるお店」として少しずつ認知されていく。それが「済南市で1位のカレー」の評価につながったのだ。
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