中国口コミ1位カレー生んだ日本人の博打人生 マーケティングの常識では実現しなかった奇跡

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異国の地でもがき続け、いつの間にか6年が経っていた。素人だった料理も、現地で知り合った料理人の友人に助けてもらいながら腕を磨き、なんとか厨房を切り盛りした。しかし、そのレストランも諸事情が重なり、閉店を余儀なくされてしまった。その会社に残って他部門に移ることもできたが、赤石氏は会社を離れることを選択する。

「飲食の仕事を続けているうちに、楽しくなってきたんです。その飲食を離れてまたゼロから別の仕事をやるイメージはもうありませんでしたね」

生きるための手段から、チャレンジの対象に。上海での6年の歳月は、いつしか赤石氏の仕事に対する姿勢をも変えていた。

中国・山東省の州都である済南市(赤石さん提供)

その頃、友人が住む済南市をよく遊びに訪れていた赤石氏。山東省の州都だが、同じ山東省でも「青島ビール」で有名な青島ほどの知名度はない。そんな済南に、赤石氏は不思議な魅力を感じていた。

「周りを山々に囲まれた盆地で、大きな湖もある。その景色が故郷の北上にすごく似ていたんです。古い建造物をちゃんと遺そうとする文化もある。そこに親近感をおぼえました」

目指したのは「日本人初」の称号

もうひとつ、赤石氏が済南に引かれたのは、日本人が少ないという土地柄だ。約900万人の人口に対して、現地に駐在する日本人は100人前後。割合にして実に0.001%だ。

「上海とはまったく異なる環境が、逆におもしろいと思って。『よし、この済南でオレが“日本初”をやってやるぞ!』とスイッチが入りました」

地元に明るい友人をパートナーに迎え、赤石氏は済南で居酒屋の開店に踏み出す。理想の物件も見つかった。
ところが、ここからというときに必ず落とし穴が待っているものだ。内装工事が半年以上経っても一向に終わらない。業を煮やして問いただすと、パートナーが連れてきた現地の内装業者に飲食店を手がけた経験がないことがわかった。

「遅いだけでなく、ヘンなところに電源を付けられて。いい加減にしてくれよ!と思いましたね(笑)。8カ月間くらいは完全に足踏みで営業ができませんでした」

さらに、漢民族が住民の大半を占める済南は、食文化も国際都市の上海とはまったく異なる。日本の居酒屋のような「食べながら飲む」食習慣がなく、食事を済ませると客はすぐ店を出ていってしまう。

「ドリンクは?と聞くと、『バーで飲み直す』と言われるんですよね」

そのことに気づいたのは、居酒屋をオープンしてしばらく経ってからのことだった。

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