コロナ禍の日本で無気力が蔓延したのはなぜか 忘れてしまった政府に「抵抗する」権利

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21世紀、とりわけリーマンショック以後、経済的停滞や経済格差によって生み出されたさまざまな不安を受けて、どの国でも、とりわけ先進国と言われる国では、政治的な不安定状態が続いていた。不安定は、国民の多くを納得させる政治ができていないということから生まれている。

ロシアや中国、トルコのみならず日本やアメリカなどでも、ある種のポピュリズム的政治家が出現している。一方からの強烈な支持と、他方からの激しい抵抗の中で、強面で挙国一致の愛国主義を訴える政治家の出現である。彼らは、このコロナ禍をチャンスだと考えたのだ。

伝染病は、科学という旗の下に、合法的に反対運動や抵抗運動を規制できるチャンスである。大義名分は「個々人の生命を守る」という安全にあるが、実質的には人々を隔離することで抵抗運動を弱体化させるという、治安としての安全をもたらした。それは、フランス革命が国民の安全を守ると称して反対派を摘発し、出版や集会の自由を規制していったことを考えると、彼らにとってこの安全という言葉がどのような意味を持つかがわかるはずだ。安全とは政権の安全でもあるのだ。

政治家に都合のよい「生命を守る」という名分

2018年11月の半ばから、フランスでは「黄色いジャケット運動」が、毎週土曜日に続けられていた。1カ月で終わるかと思われていたこの運動は、コロナが世界を覆いつくし始めた2020年も毎週開かれていた。この運動は2019年12月のストライキも伴い、政権にとって動きの取れない状況を生み出していた。

この運動は、地方から全国的な広がりをもっていった運動であった。年金生活者や失業者など、ガソリン価格の上昇に怒った人々が、マクロン政権の新自由主義的政策に抗議したのだ。運動の起こりは組合運動のような組織的運動ではなく、小さなサークル運動から始まった、いわば個人によるマニフェストに近いものであったといえる。それがやがて全国に拡散していったのだ。

国家は誰のものか。それが民衆のものであれば、政体はデモクラシー(民主政)である。君主のものであれば、政体はモナーキー(君主政)である。しかし、民衆のものといっても、選挙が終われば民衆は、政府に権利を委譲する。だから正確には、それはデモクラシーではない。

もしデモクラシーが本当にあるとすれば、中央権力のない社会、直接民主政の社会しかない。19世紀のフランスの思想家であるプルードン流にいえば、権力が集中しない状態すなわちアナーキーな状態こそ民主政かもしれない。だから民衆は、真にデモクラシーを実現するには、つねに政府に抵抗する権利を持つべきなのだ。

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