もちろん、結果は不合格。結局、合格をもらっていた滑り止めの学校に入学を決めた。
中学受験が終われば受験に追われずほっとできる――。そう思った明子さんのそんな気持ちは、またしても打ち砕かれる。そこは人気の難関女子校で、慶應大学も十分に目指せるレベルの進学校だったのだが、御三家までは届かない。
慶應を目指せるレベルというのは入学後にも学力を伸ばしてくれる学校だったからなのだが、何もしないままで学力が伸びるわけもなく、明子さんにとっては過酷な中学生活がスタートしたのだった。
中学2年生でついに爆発。部活だけ出席、退学へ
「とにかく宿題が多かったです。小テストも頻繁で、小テストで点数が悪いと居残りになり、その単元の学習をまたやるのですが、ずっと勉強ばかりしてきた私にとっては苦痛でしかありませんでした」
幼稚園の年長からずっと“受験”という文字を背負って生きてきたような明子さんには、学ぶ楽しさよりも苦しみのほうが勝ってしまったのだ。
「自由になりたい」
明子さんの頭にはつねにこの言葉が出てくるようになっていた。中学2年生もあと数カ月で終わるという時期、明子さんは学校をサボってしまう。
「当時の自分が何を考えていたのかわからないのですが、とにかくなんとなく、“自由になりたい”という気持ちがあったことだけは覚えています。制服を着て学校に行くふりをして、渋谷からひたすらバスに乗ってみたり、山手線に1日中乗ってみたりしていました。
部活は行きたかったので、部活の時間にだけ学校に登校する生活を数日続けていたら、すぐにバレて、親も呼び出しになりました。それからは、まるでダメで。登校して教室に入ろうとすると過呼吸みたいな症状が起こって。先生ももうこの生徒はうちの学校には向かないなと思ったと思います」
「なんでそんなに反抗するの。意味ないよ」
慶應の付属校に通う兄からそんな言葉を投げかけられると明子さんは決まって「幼稚舎しか受験をしたことがないくせに、お兄ちゃんには私の気持ちなんかわかんない!」と言い返していたという。
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