集団指導とは別に個別指導も受けていたが、成績は伸び悩み、とうとう慶應を受けられるレベルには達しなかった。「6年生の時点で偏差値的に10くらい開きがありましたから、どう考えても無理だろうと。でも、親は慶應しか頭になくて、兄が通っていたこともありますが、文化祭などの見学は慶應しか連れて行かれませんでした」。
受験を知らない家族たち
受かるわけがない受験を、なぜまたしなければならないのか、学校見学に連れて行かれても明子さんの心の中は複雑だった。自分の希望する学校がないままで迎えた志望校決定時期、明子さんは「慶應は受けない」と自分の意思を口にするようになっていた。
「母は取り合いませんでしたね。塾の先生にも私に慶應を受けるように勧めてくれと頼んでいたようでした」
偏差値も気持ちも乗らないまま中学受験は始まった。今回は滑り止めの学校も用意された。「滑り止めの学校を決めたのもすべて母だったと記憶しています。塾が勧めてくれた学校の中から選んだのだと思いますが、見学に行ったのは1校だけだった気がします。おそらく、滑り止めの学校も慶應大学に入学する人数が多い所を選んだのだと思います」。
親はしきりに「慶應に」というけれど、いくら勉強してもそこには届かないやるせなさ。通塾や個人指導などお金をかけての教育は十分すぎるほど与えられたが、親の期待に応えることができない。
「よく、“家ではお父さんが一緒に問題を解いてくれました”というような受験エピソードを見かけますけど、うちはまったくなかったです。なにせ両親は幼稚舎出身で小学校のお受験以外の受験経験はありませんから」
モヤモヤした気持ちを引きずりながら慶應中等部の入試当日を迎えた。
「私、受験しないから」
朝起きた明子さんは、なんと受験をエスケープ、ランドセルを背負いそのまま小学校に登校した。
「名前を書くだけでもいいから受けに行って」
懇願する母親の声を背に、明子さんは「名前を書いただけで合格できるとでもいうの? 何のために行くのよ!」と言い放ち、玄関から出て行った。
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