――米国にとっての利益は何か。
民主主義的政治体系と文民統制の軍隊を持ち、自信を高めた日本は米国にとってよりよきパートナーになる。集団的自衛は日本のより確立された安全保障により、これまで以上の日米協調が可能になる。従来、日本の軍隊の無為に対する無気力や飽き飽きした口実があったが、それらがなくなる。これからは共同作戦、共同訓練、さらに潜在的敵に対して明確に警告できるようになる。
よりバランスのとれた同盟は危機に直面した際に崩れない。これまで同盟がどんなときにも持ちこたえるのは当然というわけにはいかなかった。米国の軍事費削減圧力が非常に強まっても、日本では防衛予算を増やすことも可能になる。米国には同盟国を強くする義務がある。
修正主義への傾斜は要注意
――集団的自衛について米国で何らかの疑惑があるかどうか。
潜在的なマイナス面がある。日本ないし米国が他国の紛争に巻き込まれる可能性がある。これはいかなる同盟にもつきまとうディレンマだが、これまでは憲法9条の高度に抑制された解釈によっていくらか限定されていた。これからは防衛費をめぐる緊張が高まる可能性がある。新しい役割や使命に対する日本の関与が増えることはさらなる防衛費の増加を意味する。それは承認されるかもしれないし、されないかもしれない。
すでに韓国、中国から批判されている。それは東アジア地域に破壊的な要因になり得る。日本の中道左派や自民党内の吉田学校の残党から反対されている。それは可能性としては小さいが、政治的不安定要因になり得る。
――集団的自衛に向けて日本の修正主義者から熱心に圧力がかけられるのは問題があると思うか。
それは大いに問題だ。ある程度、修正主義者が集団的自衛を後押ししていることは確かであり、韓国や中国が日本を「羊の衣をまとった狼」として描いているのはそのためだ。中国では日本の軍国主義を「狼の衣をまとった狼」と呼ぶ向きもある。過去70年間、日本は経済成長に専念し、寛大かつ平和的な隣人として振る舞ってきたが、そういう事実を否定するものだ。
修正主義は不信と不安定をもたらす。日本にとって「羊の衣をまとった羊」であり続けることは健全ではないと同じように、日本が何をまとおうとも狼だという批判をいとも簡単にされるようでは健全とはいえない。
日本が軍事的に強くなることは日米両国の利益にはなるが、いくら強くなっても身に合った羊の皮をまとい、他を略奪しない非捕食性の“子羊”でなければならない。その種の整合性のある利害を伴った強い同盟関係は、その地域の安定性が保たれるように抑止力を強めることになる。
――集団的自衛を支持する実践主義者もいる、とは本当か?
日本が国際的に分相応の活躍をし、もっと対外的に自信を持ち、軍事に対してもっと気楽になれるように国力を高める。そういう考え方は、自民党内で分断している保守派の双方に橋がかけられる。集団的自衛と修正主義者のアジェンダとは結びついていない。集団的自衛を望ましく、あるいは効果的にするために修正主義者のレトリックをよそわせる必要はない。
修正主義者にとって集団的自衛を容認するための憲法解釈の変更は、かなりの程度、後退したと思われる。修正主義者は単なる解釈変更ではなく、憲法改正を長いこと嗜好してきたからだ。安倍首相や側近たちはそれを諦めてはいないが、すぐにも実現できるとは思っていない。一般大衆は憲法9条改正に熱心ではないから、彼らはブロックされている形だ。
――安倍首相に対する米国のアプローチをどう見るか。
彼と彼の盟友たちには、集団的自衛を超えた政治的課題(アジェンダ)がある。その事実が米国の集団的自衛に対する熱意を冷ましてはならない。日本が吉田ドクトリンを乗り越えるは時間の問題であり、新しい戦略についての議論が再び起こる。国内政策がこの変化を勢いづけ、世界の変化もまたその課題に拍車をかける。東アジアの勢力均衡も流動化する。それは日本にとってごく自然に対応できる意思と能力とがシフトしながら混じり合う。
米国の政策は正しい軌道に乗り出した。安倍首相の靖国参拝を批判したことに反映しているように、オバマ政権は集団的自衛に対する支持と安倍首相たちのもっと広いアジェンダに対する支持とを別々にしている。その両者は同じではない。米国の行政府にとって日本の修正主義者による個別的な発散にいちいち反応することはできないが、不幸な過去に対して過剰に注目することは、未来への地道な前進を阻んでしまう。米国はこのことを繰り返し警告すべきだ。
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