――冷戦崩壊からすでに20年以上になる。
そう。過去20年、日本はゆっくりと一皮一皮むくように自ら課した制約を取り除きながら合法的な自衛に対する理解を広げてきた。その自衛はあくまでも憲法で合法化されているものだ。1980年代に防衛費は増えたが、現在、防衛予算は必ずしも増やす必要ない。むしろ、自衛隊の役割や使命を高めることに主眼があり、平和主義の基本教義や憲法9条の下での自衛という現存する解釈に挑んでまで国内政策を不安定化させるべきではない。
――吉田ドクトリンは常に反対派に直面してきたが、それを乗り越えて維持されてきた。
そう。戦後、日本は幅広い保守勢力によって統治されてきた。その勢力は修正主義者(リビジョニスト)と実践主義者(プラグマティスト)とに分断される。前者は憲法を改正し、遠からず日本をもっと強い国にしたいと願う修正主義者。後者は吉田学校生らによる現状肯定派であり、米国との不平等条約によって特色づけられる戦略的政策によって安全保障および経済的便益を享受しようとする実践主義者だ。後者はたえず動揺を繰り返してきたし、また修正主義者がいなくなることもなかった。
“普通の国”とはどんな国か
――その修正主義者がハッキリものを言うようになった。
次の一皮はかなり厚い皮だ。すなわち、憲法解釈の変更によって集団的自衛の行使を容認することだ。安倍首相が修正主義者のグループに属していることは明らかであり、2006年に第一次安倍内閣を結成する以前から憲法改正に前向きだった。彼は祖父の岸元首相が「日本は世界で重要な役割を演じるべきだ」という遺言を、人々に誇らしげに語っている。
戦時中に軍事的、経済的に優れた企画者であった祖父に親近感を強く抱いている。祖父は1941年の対米宣戦布告の署名者だったが、戦後は日米同盟の守護者に転じた。20世紀の日本に大きなインパクトを与えた数少ない人物の一人でもある。
集団的自衛をめぐる議論では、現段階では憲法解釈について大騒ぎになっているが、もっと厄介な変化である憲法改正を避けている。安倍首相はいまのところそれを脇に置いている、と私は思う。
安全保障上の憲法解釈は戦後を通じて何度となくなされている。1954年の自衛隊の創設に道を開いたのも憲法解釈だった。1950年代半ばの憲法解釈によって日本は他国に対する緊急の戦力使用を先取りする権利を保持し、また防衛目的で核兵器の備蓄ができることになった。内閣法制局の高官は憲法解釈を巧みに行ったり、行わなかったりして、政治指導者の要請に応えてきた。
重要なのは、そういういくつかの憲法解釈を是とする人たちが修正主義者とは限らないことだ。吉田元首相は自衛隊を支配・統治しようとしたが、鳩山一郎元首相は専有しようとし、岸元首相は核兵器を支配・統治しようとした。鳩山、岸の両氏は共に修正主義者だ。注目すべき点は、政治指導者たちが防衛政策の容認範囲を拡大させるよう内閣法制局を利用してきた歴史があることだ。
――内閣法制局は継続的に中心的な役割を演じてきたのか。
1990年代初期の海部俊樹元首相のような実践主義者は内閣法制局を口実に使って物事を簡単には変えないようにした。つまり、内閣法制局は防衛について日本ができることとできないことを厳密に制限する立場にあるという考え方だ。それとは対照的に内閣法制局に命令して一定の憲法解釈をさせ、それによって自分たちの政策を推し進めるグループがある。こうした官僚と政治指導者との緊張関係は常に存在してきたし、いままさにその緊張関係の中にいると言える。
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