高齢期の患者負担は1割、2割、それとも? 「高齢者」でなく「高齢期」、世代間対立は不毛だ

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先月だったか、ある集まりに参加したとき、盛り上がっている後期高齢者自己負担1割から2割についてどう思うかと問われて、次のような雑談をしている。

始まりは1973年の老人医療費無料化

随分と前に、『エンカルタ』という百科事典の老人保健制度を書いていたのですけど、そこに高齢者の自己負担率の推移をつけていました。それから、おもしろい教訓を得ることができるからです。
この国の医療は、フリーアクセス、民間の医療機関、出来高払いという特徴を持つのですが、その特徴のもとで、1973年に老人医療費無料化というのをやってしまいました。あの時は、横浜市の飛鳥田市長や、東京都の美濃部知事をはじめとした革新自治体が出てきて、どんどんと老人医療の負担率引き下げや無料化が進められ、72年には未実施の都道府県は2県のみという状況の中で、自民党は導入しています。だから自民党を責めることもできない。
老人医療費無料化は、当時の状況を考えると高齢者の生活を守る一定の意味はあったのですが、すぐに医療面でその弊害が目に見えて現れ始めます。患者の自己負担がないため、医療側はニーズをあまり考慮しなくても量を増やしていくことができた。そうすると需要は増えます。それが医療です。こうして、提供体制と医療のかかり方が歪んでいった。
こうした状況を改善するために、無料化をなんとかしなければということになるのですが、無料化に合わせてできた日本の医療が、医療者にも患者にも慣れ親しんでいたために、自己負担を導入するのは政治的には至難の業です。
結局、定額負担を導入するのに10年かかった。といっても、1983年の老人保健制度で導入された定額負担はわずかな額にすぎなかった。この定額負担を引き上げるのに、さらに14年かかっている。それから、定率1割負担に切り替えるのにさらに4年。
要約すれば、老人医療費無料化という歴史的失策から、定額導入に10年、定率導入に28年を要している。
そしてあろうことか、定率負担の導入の後に、「現役並み所得者」を2割にするなどということをやっている。これは社会保険政策としては愚策もいいところ。
社会保険は「負担は能力に応じて給付は必要(ニーズ)に応じて」が原則で、高齢者の中での所得が高いからといって負担率を上げるなどは、愚の骨頂。
高所得者はしっかりと保険料や税を応能で負担しているのに、生活リスクに直面して支えられる側になったら再び普通の人より多く負担しろという。踏んだり蹴ったりでは、国民の統合を図るための統治システムとしての社会保険としては二流三流です。そんなこと続けていたら、彼らから、民営化だ混合診療だとでてくるようになる。社会保障の研究者は、所得に応じて患者負担率が変わることをとても嫌います。
だいたい、公的な医療保険で中核的役割を果たしているのは高額療養費制度です。100万円の医療費がかかっても9万円くらいしか負担する必要がない、という話がないままの自己負担率の議論は意味がない。
こうした一連の動きから得られる歴史的教訓は、一端愚かな政策をやるとその後を生きる政治家や官僚はかわいそうだということです。みなさんのご苦労も、1973年施行時の角栄さん、法律の成立は佐藤政権の最後の国会ですけど、あの頃の後始末が、まだいまも続いているという話ですね。お疲れ様です。

(この後日、高額療養費制度と「応能負担原則とニーズ給付原則」の重要性を説明するために送った連絡はこちら

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