堀江貴文「テレビの役割は終わりつつある」 グローバル社会で一番有効なのは個人の力
だが、ニュースで取り上げられるのは、ゴーン氏の語りパートのみ。いつも僕の発信情報を勝手に引用するくせに、ほとんど僕の名前を出さない。テレビでまともに取り上げてくれたのは『サンデー・ジャポン』ぐらいだ。まあ、堀江貴文が単独取材に成功したのが悔しいというメディア側の理屈もあるのかもしれない。
あらためて思う。マスコミ、とりわけテレビの役割は、もう終わりつつある。スマホの出現で、情報の発信・受信の潮流は、垂直統合から水平分業の段階へ移行している。つまりテレビ(垂直統合)の情報より、インターネット(水平分業)の情報の方が、いまやメジャーであるということだ。
多くの人に娯楽と優れた情報を届けるという意味では、テレビはインターネットの汎用性に負けている。スマホの出現で、完全に勝負がついたのではないか。
グローバル社会で一番有効なのは「個人の力」
僕はこのとき、どこのメディアも使わず、個人の力でゴーン氏と連絡をつなぎ、取材することができた。利用したツールは、スマホだけだ。大手テレビ局もコンタクトを取りつけられなかった、注目度の高い情報を、個人が工夫次第で獲得できる。それが普通になっている時代だと、僕の読者には強く認識してもらいたい。グローバル社会で、一番有効なのは、個人の力だ。
世界中を実際に回り、その認識は強くなった。既得権益に守られていた組織や体制は、いたるところで急速に力を失い、スマホを駆使して行動する人の存在感が高まっている。
いまテレビが社会に残っているのは、単に惰性だ。視聴者の大部分は「家にあるから見ている」人たちだろう。価値が残っているとすれば、歴史と伝統ぐらいだ。実質的にはオワコンと化しているのだが、一方で歴史と伝統が、意外と強いのも事実だ。
登録者数が数十万人クラスの人気YouTuberが、テレビに出られるのを大喜びしているのを見ると、なんで? と不思議に思う。だが世間一般においては、テレビはもうしばらく「いちばん有名なメディア」であり続けるのだろう。
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